地方で見られる「農村空間の商品化」の功罪
農山村は、食料等をはじめとする社会で必要とされる様々な資源を生産する場として機能してきました。しかし、戦後のある時期から農山村における一次産業の衰退が始まり、生産活動による農山村の経済基盤は弱体化してきました。
こうした中で「生産の空間」から「消費される空間」へと変化する地域も現れてきました。ここでいう「消費」とは、観光をはじめとして、文化としての景観、その他さまざまなかたちで農村空間が消費の対象となっていく現象のことです。こうした動向は、「ポスト生産主義」とかさらには「農村空間の商品化」と呼ばれています。
この「商品化」は、たとえば林業を盛んにしようとか、伝統工芸をもっとPRしようといった地方や農山村における生産活動やその製品を商品として市場に流通させようとするこれまでの地域振興とは少し様相を異にしています。これまでのそれは商品経済化です。ここでの「商品化」は、たとえば、むしろこれまでときとしてネガティブな要素として捉えられてきた「田舎」の要素を、都市にはない特質として、ポジティブな要素に置き換える戦略を含んでいます。例えば「にぎやかさ」に対する「静けさ」、空気や水の清浄さ、ゆとりある森林等緑の多い空間、ゆったりとした四季の移ろいを感じさせる田んぼや畑の農耕の風景、整備されすぎていない道や古い様式を残す家屋など、従来は一般的だった、農村を都市に近づけていくような近代的な手法による開発とは対極にあるような情景を保全あるいは保全していないかのように装う整備によって活用するような動向のことです。
こうした「商品化」は、むしろ農山村で生活する人たちではなく、地元の人にはあたりまえすぎて気づいていなかった側面に光が当てられて価値が見出されることがあります。とくに自然の摂理に即した農山村の生活の様子や再生可能エネルギー利用の推進や有機農業、自然栽培の再評価は「地に足のついた日常」への指向性と合致すれば、企業にも機会を提供するでしょう。
ただし、市場の需要に迎合した過度な「商品化」の弊害も少なくありません。地域の中で育まれてきたものが断片的に切り売りされたり、過度な演出によってテーマパークのようなありきたりなものになってしまい、結果的に本来持っていたの価値が損なわれてしまうという弊害もあります。のんびりした田舎暮らしに憧れた人達の来訪が道路の渋滞を招いたり、新設された駐車場によって美しい景観が失われるといったことは、各地で現実に起きている現象です。
これまでにも、都市の開発資本によって地方にゴルフ場やスキー場がつくられ、来客がみられなくなれば放置されてしまうような資源の収奪が行われてきました。農村空間の商品化にみられる現象も、単にビジネスチャンスのみを求めて「都市の論理」を農村に持ち込むだけのような前世紀の営みの延長に過ぎない発想によるものであれば、一時的な繁栄しかもたらさず、早晩に行き詰まることは目に見えています。企業も地域も疲弊するだけでしょう。
そうではなく、農山村や地方におけるこれまでの営みを踏まえて資源を持続させる方策を求めることが都市の資本にとっても有効であり、その方向性を都市と農山村の新たな関係を模索しながら進めていくことが、SDGsが喧伝されるような時代状況の中で評価されるべきだということをあらためて指摘しておきたいと思います。
では、都市の生活者や資本が地方や農山村を「消費」する関係ではなく、地方自らの内発的な発展に結びつけるためには、どのような戦略が必要になるでしょうか。
地域社会・地域経済の研究では、「都市化社会から農村社会への移行」が重要なトピックとなっています。それには、人々が気候変動や食の安全といった問題に直面したことで、20世紀的な「都市化」の価値観に疑問が呈されていることが背景にあります。
先にも触れたように、20世紀の資本主義や市場経済の拡大は、都市の成長を中心としてなされてきました。戦後の経済成長は日本全体を豊かにしたのではなく、むしろ地方や農山村では都市に労働力を奪われ、生産基盤も失われていくということが起きました。地域経済や経済地理学の分野では「地域的不均等発展」といいます。
しかし、その中でも農村社会や地方に新しい状況も生まれています。生産一辺倒で地域経済を考える局面から、自然、文化やレジャー、環境の保全をも含めた多面的機能の発揮を通じて地域経済を成り立たせるという考え方に基づいて、現在の農山村は、林業や農業などの地域資源を他の機能とうまく結びつけるあり方が模索されているところです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。