日本でも増えてきた違憲判決
戦後まもなく制定された日本国憲法は、当時のGHQの指導もあり、アメリカの影響を強く受けています。例えば、司法審査制度もそのひとつです。
司法審査とは、裁判所が紛争を通して、適用される法律を憲法に照らして違憲か合憲かを判断する権限です。先に述べた尊属殺人罪の違憲判決も、この制度の下でなされたわけです。
ところが、日本での違憲判決の例は、アメリカに比べると圧倒的に少ないのです。
例えば、アメリカでは、このコロナ禍で、いわゆる三密を避けるために制定された法律が教会での礼拝のための人々の集まりを妨げていると、宗教団体などが州の規制の一時差止めを求めました。
すると、合衆国最高裁は、スーパーマーケットでの買い物やカジノでの賭け事と宗教上の礼拝活動とで、基準が違うことは差別に該当すると判断し、ニューヨーク州、カリフォルニア州の距離制限について立て続けに一時差止めしています。
それに比べると、日本では、戦後の75年間でも、違憲判決は数件程度数しかありません。
例えば、1969年に、北海道長沼町で自衛隊の基地建設のために保安林を使うことは、そもそも自衛隊が違憲であるのだから違法であると、地域住民が提起した訴訟には社会的関心が集まりました。
裁判は最高裁までいきましたが、1982年、基地の代替施設の完備によって、原告住民に訴えの利益がなくなったことを理由に、上告を棄却する判決が出され、自衛隊の違憲判断には触れられませんでした。
日本で違憲判決が少ない理由は様々にあると思います。しかし、裁判員制度が導入されるなど、司法制度改革が始まった頃から、徐々に違憲判決が増え始めています。
例えば、2008年、日本人の男性とフィリピン人の女性の婚外子が日本国籍を取得できないことに対して提起された訴訟では、最高裁が、国籍法が違憲であるという判決を下しています。
こうした動きを見ると、日本でも、今後、違憲判決が増えていくかもしれません。
しかし、問題は、違憲判決が増えれば良いということではありません。それは、その法律の意味が時代遅れになっているという裁判所からのメッセージなのですから、私たち市民や、選挙で私たちが託した代表者で構成される国会が、それに対して、どういったアクションを起こすかということです。
例えば、国籍法は違憲判決が出た年に、速やかに改正されました。一方、尊属殺人罪が改正されたのは、違憲判決が出されてから22年後の1995年です。
違憲を問う裁判自体はマスコミなどの報道も多く、社会の関心を集めますが、本当に大切なのは、判決の後なのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。