行政マンの気概と矜持を高めるのは我々のシビリティ
例えば、官僚制は極めて効率的な組織体です。それを支えているのは、文書主義であり、意思決定が明確にされることであり、活動がルール化されていることです。
ところが、まさにこのことによって、本来、働くべき機能が働かなくなることもあるのです。
例えば、2019年の夏、大型台風の直撃を受けた地域で、自治体が住民の避難場所を開設したものの、いわゆるホームレスの人を拒絶する対応をしたことが報道され、問題になりました。
実は、この自治体では住民票がない人のための避難場所を別に設けており、そのため、対応にあたった人たちはルールに則り、ホームレスの人にはそちらに行くようお願いしたのです。
しかし、屋外は嵐の状況で、道路も各所が浸水していました。
つまり、自治体が避難所を開設したのは、人命を守るという目的のためだったのに、ルールをしっかりさせたことによって、その目的に反する行動を結果的にとらざるを得なくなったのです。これが「官僚制の逆機能」です。
そもそも、避難所を区別することが問題なのかもしれません。が、なんらかの理由でそのように設計されていたとしても、本来の目的を考えれば、現場でルールを弾力的に運用することも大切だったといえるでしょう。
当然、この弾力的な運用は意図的に悪用されることも容易に考えられます。
それを防ぐ制度設計は難しいのが現実です。だからこそ、行政マンたちの気概と矜持に頼むところが大きいのです。さらに、それらを、我々の持つシビリティが支えられるかどうかが重要なのです。
シビリティとは、簡単にいえば「礼節」や「礼儀正しさ」のことです。近年、アメリカ政治を語るとき、その言葉はしばしば注目され、時にはその危機が声高に叫ばれます。
もしかすると、米国民の多くが、社会に対する尊敬や品位に欠ける政局を、数多く目撃しているのかもしれません。
とはいえ、政治は生き馬の目を抜く世界、礼節などケセラセラ・・・と思う人も、実際には少なくないでしょう。
それでも私は、政治や行政の世界に我々国民がもっとシビリティを追求すること、そのためにも我々自身が自らのシビリティをもっと磨き上げなければならない、と思っています。
我々国民のシビリティが政治や行政の世界にも反映することになるのです。
ファンタジーかもしれません。しかし、我々一人ひとりが、シビリティを意識し、常日頃社会と接していくことが、政治や行政に携わる人々の気概と矜持を高めることへと繋がっていくと、私は強く信じています。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。