2024.03.21
公文書の隠蔽や改ざん、忖度。防ぐのは我々のシビリティ
西出 順郎 明治大学 専門職大学院 ガバナンス研究科 教授すべてを想定して規定する制度設計は現実的ではない
では、例えば、公文書のずさんな管理に端を発して制度化されたにもかかわらず、「公文書管理法」が、結果的に、上手く機能していないのはなぜなのか。
実は、「公文書管理法」の枠組みでは、公文書を「国民共有の知的資源」と謳われている一方、具体的な規定がない限り、たとえば軽微な文書については、保存期間を1年未満とすることが可能となっています。
そして、なにが1年未満の保存文書に当たるか否かは、各府省等の判断に任せられているのです。
つまり、規定上問題がなければ、各府省によって軽微と判断された文書は、極端に言えば、記録した翌日に廃棄しても、この法律の設計上、特に問題とならないわけです。
もちろん、日常的な業務連絡の類いまで長期間保存しなければならないとすれば、おそらく、その管理を行うための人手や労力は膨大になることは容易に想像できます。
その点で、民間企業ではペーパーレス化が進んだのかもしれません。バックアップデータは文書ではない、などという論理は、一般的には理屈にならないと感じるときもあるでしょう。
では、なにが公文書なのかを細かく規定し、すべてをしっかりと保存するのなら、その制度運用が上手くできるのか?と言えば、実は、それは決して簡単なことではありません。
やはり、日々の業務の現場で書かれる多種多様な文書やメモを分類のためにすべて設定し、管理することなど、ほぼ不可能でしょう。
日本のようなしっかりとした国で、なぜ上手に機能しない制度が設計されてしまうのか、私たちは素朴に疑問に思います。
しかし、この複雑で高度化した社会においては、制度設計時にすべての要件を想定することは無理であり、むしろ、弾力的に運用できるような設計にする方が現実的で、本来なら、円滑な運用が図られるはずなのです。
となると、運用する人の規範の問題ということになるかもしれません。例えば、一つのルールであっても、それをしっかり守ることが美徳だと思う人もいれば、守ることは馬鹿馬鹿しいと思う人や、ルールの穴を見つけて合法的にルールを骨抜きにしようとする人も世の中にはいるでしょう。
私は、先に、人の本性を前提とした制度設計や運用を考えることについて触れました。しかし、すべてをガチガチに規定することは現実的ではない以上、制度だけに頼るのは限界があることもお分かりいただけると思います。
では、都合の悪いことは隠したいというような人の本姓を前提として、可能な限りを考えて制度設計し、それを目的に沿って適切に運用することなど、どうしたらできるのでしょうか。
決して簡単なことではありませんが、私は、それを可能にするのが、仕事に対する行政マンの気概と矜持であり、我々のシビリティにあると思っています。