AIが生成する作品をめぐる疑問
AIが生成する画像はそもそもアートと呼べるのかという疑問を抱く人も多いでしょう。画家の描く絵画は、歴史的には絵のコンセプトだけでなく絵を描く技術を含めて評価されてきたからです。
例えば写実主義の時代は、現実をどれだけそのまま写せているかという技術が絵画を評価する重要なポイントでした。
それぞれの画家が色の出し方をまるで科学者のように探求し、光を描き出そうとする印象派の絵画へと繋がっていったわけです。
写真技術が普及して、写実絵画の価値が下がっていくと、絵画は画家の心情や意図を表現する手段として活路を見出します。
AIの画像生成プログラムを使うと、表現技術のない人でもレベルの高い作品を作ることができるわけですが、そうすると、現代アートが辿った道のように、AIにどういう指示(テキスト)を与えれば良いのか、AIが生成した画像の中からどれを選べば良いのかといった戦略性こそが重要になるでしょう。
AIの作るアート作品についてもうひとつ生じる疑問は、AIによって生成された画像が一体だれの作品かということです。そこには様々な人が様々な形で関わっているからです。
AIに画像を生成させそれを選択した人は、一連の作業の最終段階に関わった人ですが、その前には、そのAIプログラムを作った人がいます。それがオープンソースであったとしても、そのAIプログラムによって生成された作品が高値で売れたとき、プログラマーにはお金が渡らなくても良いのでしょうか。
先に述べた4800万円で落札された作品の場合、使われたAIをプログラムしたのは当時高校を卒業したばかりの少年でしたが、作品のクレジットに彼の名前はなく、作品の売上が配分されることもありませんでした。
そもそもその少年も一からプログラムを作ったわけではありません。彼もそれ以前に作られていたプログラムを参考にしたり、手を加えたりしてプログラムを作ったのです。もし彼に売上金を渡すならば、彼が参考にしたプログラムの制作者たちにも配分する必要があるのでしょうか。
また、AIが収集した画像にもそれぞれ制作者がいます。基になった画像の制作者もできあがった作品に関わっていることは間違いありません。
AIが生成した作品の制作者とはだれなのかを規定するのは簡単ではないのです。AIが生成した作品が売り買いされる場合、これは法的に解決されるべき問題となります。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。