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アインシュタインも悩ませた「量子もつれ」とは?

楠瀬 博明 楠瀬 博明 明治大学 理工学部 教授

不完全で多様な世界が面白い

 そういった意味で、いま、私が注目しているのが、ミクロな世界の「カイラリティ」です。

 カイラリティとは、鏡映しの関係を指します。つまり、構成要素は同じなのに、その立体構造が重ならないもののことです。例えば、右手とそれを鏡に映した左手は、立体的に重なりません。実際、カイラリティの語源は「手」を表すギリシャ語です。化学分野ではキラリティとも呼ばれます。

 その構成要素は同じなので、自然界には、右手系と左手系が同数程度あっても良いはずです。ところが、なぜか、一方のキラリティに偏っている分子が多く見られます。そのことをホモキラリティと言います。

 例えば、アミノ酸にはD体とL体があり、右手と左手のような関係になっています。ところが、生物はL体のみで構成されていて、糖類はD体のみでできています。その理由は、まだ解き明かされていません。

 生物がホモキラリティの性質を持っていることは産業利用においても、とても重要です。例えば、グルタミン酸はL体のみ旨味を与えることが知られています。また、右手と左手を取り違えると良薬が劇薬になる恐れもあります。こうしたことが起こらないようにするためには、片方の手を選択的に合成することが必要で、非常に活発な研究が行われています。

 さらに、分子だけでなくカイラリティをもつ固体結晶でも、電気や磁気特性、光学特性を相互に変換できることが分かってきました。たとえば、カイラリティを応用することによって、わずかな温度差を電気や磁気に変えたり、その特性を光によってコントロールするといった技術も期待できるのです。

 カイラリティのように、お互いに関係はしているけれども違うもの、という性質を扱う考え方が、対称性とよばれるものです。実は、対称性と相転移には密接な関係があります。つまり、相転移が起こると対称性が変化するのです。例えば、水が凍って氷になると、形が生まれます。つまり、特別な「向き」のなかった水が、カドのある氷になるわけです。それと同時に、物質の性質、たとえば「硬さ」が変化します。

 実は、私たちが住んでいる宇宙も、過去に何度か相転移を起こして、いまの状態になっている、という考え方があります。つまり、原始の宇宙の対称性の高い相では、自然界の力はひとつで区別はなかったと考えます。そして、宇宙が冷えて相転移を起こすたびに、対称性が低下して力の性質が分化し、現在の宇宙のような「強い力」「弱い力」「電磁気力」「重力」の4つになったと考えるのです。つまり、「電磁気力」も「重力」も源は同じだと言うわけです。一方で、いまの宇宙がさらに相転移を起こせば、また、違った力が現れたりするのかもしれません。

 すべての力がひとつに統一された原始宇宙の世界は、言わば、完全な球体のように非常に「対称性が高い」整った美しい世界です。そこに相転移が起こったことで、完全さが失われて力が分化することで異なる役割を担うようになり、電磁気力や重力といった多様性と機能性が生まれたとも言えます。

 整った形が不完全になると多様性が生まれ、さまざまな機能性を獲得する。もし、皆さんの両手が球体で右手と左手の区別もなければ、どのような世界になっているでしょうか?このような空想をしてみると、不完全な世界のほうが断然面白い、ということが実感できるのではないでしょうか。

 皆さんも、当たり前と思えることを、ときには、いつもとは違う見方で見たり、わからないことを不思議がって、面白おかしく考えたりしてみてください。そうすることで、様々な可能性が生まれたり、まったく異なると思っていた事の間に神秘的な共通性が見えたり、突然、新たな世界が開ける、ということがあるかもしれません。

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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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