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2025.07.31

イギリス経済史から読み解く環境政策:産業革命期の煙害対策と現代への教訓

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環境問題への取り組みの差を埋めるには

 背景として考えられるのが、産業間および企業規模間の利害の不一致です。たとえば、法規制に積極姿勢を示した工業企業家は、もっぱら大規模な繊維産業の経営者だったことがわかっています。

 反対に、繊維産業以外の産業はしばしば煙害対策に消極的でした。非常に安価な石炭を使っていた炭鉱業や製鉄業は、売り物にならない劣悪な石炭を蒸気機関の燃料として使っていたため、新型炉導入による燃料節約のメリットが乏しかったと考えられます。

 つまり、自らの利益にならないにもかかわらず、高額な煤煙防除技術の導入費用が発生することは、経営者にとって大きな負担と受け止められたのです。

 また、小規模・零細企業では、たとえ燃料節約による将来的な利益が見込めたとしても、初期投資をまかなう資金力がありませんでした。

 産業革命以降のイギリスは地域による産業の分業化が進みましたが、たとえば金属加工業が盛んなバーミンガムでは、こうした小規模企業の多さが煙害対策の遅れにつながったことがわかっています。

 つまるところ、19世紀のイギリスではさまざまな規制法が成立したにもかかわらず、地域や業種によって対策の実施に温度差が生じてしまいました。結果として、全国的な煙害対策の徹底は20世紀の第二次世界大戦以降を待たねばなりませんでした。

 1952年には「史上最悪の大気汚染公害」として知られるロンドンスモッグ事件が発生し、煤煙に含まれる大気汚染物質がもたらした健康被害によって、多くの人々が命を落としました。これを契機として、市民の反煤煙運動が盛り上がりを見せ、1956年に制定された「大気浄化法」で国や自治体が煤煙対策に補助金を出す制度が確立されていくのです。

 こうしたイギリスの煤煙対策の歴史が教えてくれるのは、環境問題の対策を進めるうえで、技術や資金力の格差が障害になるという現実です。

 とくに、自前の資金に乏しい小規模事業者や、対策の経済的恩恵の少ない産業に対しては、国や自治体による補助金や助成金などの支援が非常に重要であると結論づけられるでしょう。

 これは現在の地球温暖化問題にも通じる構図であると言えます。安価なものの環境負荷の大きいエネルギー源を古い技術を用いて利用している後発国と、高コストではあるものの環境には優しいエネルギーを新しい技術を用いて利用している先進国には、経済的な格差が明確に存在します。

 この構図のもとでは、やはり先進国の支援がなければ後進国が現実的に対応するのは困難です。技術や資金面での格差が存在する以上、先進国のほうが環境への取り組みを主導する必要があると私は思います。

 また、私が研究しているのはあくまで19世紀のイギリスという一国の事例ですが、国内でも地域や産業による格差があり、対策が進んだ地域とそうでない地域がありました。この構図は、現代日本においては中小企業・家庭向け環境補助・助成金の拡充についての議論に応用できるのではないでしょうか。

 過去の失敗から学び、現代の政策に活かしていくこと。それが経済史研究の重要な役割のひとつだと考えています。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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