「移民」は単なる労働者ではない
すでに様々な専門家や支援者の方々が指摘しているとおり、外国につながる子どもたちの教育の問題は長年の課題として積み残されています。
私もかつて日系ブラジル人の子どもたちを対象とした研究で、学校へのフィールドワークを行なっていました。日系ブラジル人は、もともと1989年の入管法改正(1990年施行)を契機に大幅に増えた経緯があり、一時期は日本国内に30万人以上がいたとされています。
その当時から社会問題となっているのが、子どもの不就学の問題です。不就学とは、何らかの理由で子どもが学校に行かなくなるという不登校ではなく、最初から学校に籍がないという状態を指します。
90年代当時はバブル経済の余波もあり、仕事を求めた日系ブラジル人たちがエージェントなどに手配されて団体で来日し、各地でコミュニティを形成しました。そして、彼・彼女たちは地域から地域へ、より賃金が高い場所への移動を繰り返す状況にありました。
そのため、彼・彼女たちの中には住民票の移動をしていないもしくは追いつかないケースが少なくなく、子どもたちが就学年齢に達しても自治体からの連絡が届かない、あるいは就学案内が来ても日本語を読むことができないといった理由から、学校で教育を受けていない子どもたちが続出したのです。
そして、この社会問題が表出してから30年が経ちますが、いまだ完全に解決されたとは言えません。
文部科学省の調査によると、2022年5月1日時点で住民基本台帳に登録されていた学齢相当の外国人の子どもの人数は13万6,923人。うち不就学の可能性がある子どもは8,183人とされます。前回調査(2021年)から減少はしていますが、依然として外国につながる子どもの約6%が学校に行けていない可能性があるのです。
日本の事実上の移民政策は、ますます受け入れの間口を広げ、将来的な定住化へ舵を切ろうとしています。彼・彼女たちは単なる労働者ではなく、同時に生活者であって、同じ日本社会の中で共に生きていく人々になります。
一方で人間は残念ながら多数派の集団から異質な存在を排除しようとしがちです。そして現在の日本では、圧倒的に日本人がマジョリティであり、外国人や外国につながる人たちはマイノリティです。
私は、彼・彼女たちを一方的に排除する行為も、楽観的に受け入れるのみという態度も、どちらも間違っていると思います。目指すのは、様々なバックグラウンドを持つ人たちの人生まで包摂する社会です。山積する課題から目を背けない姿勢が、ひとりひとりに問われています。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。