新しい概念から国際秩序が生まれる
興味深いことに、ケナンは90年代のクリントン政権によるNATO拡大方針に強く反対しました。
たとえば1997年2月の『ニューヨーク・タイムズ』紙に寄稿し、NATOの東方拡大は「ポスト冷戦の全時代の中で、西側の政策における最大の誤り」と断じ、「ロシアの世論に存在する民族主義的で、反欧米的で軍国主義的な」傾向に火をつけ、「東西冷戦の雰囲気を復活させ」、それは「ロシアの外交政策をわれわれの好まない方向へと押しやることになる」と主張しています。
プーチン大統領が侵攻に至った要因のひとつに、NATOの東方拡大とウクライナの加盟希望があると見られていますから、ケナンの予言は的中したことになります。ポスト冷戦時代で弱体化したロシアをめぐる米国の世界戦略は適切だったのか。その点はこれから再検討する必要があるでしょう。
ですが、もともと東欧諸国は歴史的背景からロシアへの警戒感が強いため、NATO加盟を望むのは当然という面もあります。集団的自衛権を含む各国の防衛力増強と地域の力の均衡維持を両立するためには、それぞれの国家主権を尊重しつつ、外交的に細心の注意を払わねばならないのです。
同じことは、中国と地理的に向かいあう日本にも言えます。日本は敗戦を経て、アメリカの対日政策の結果、戦後新憲法に基づく平和主義の道を歩みました。防衛力を米国に依存している点や、自衛隊の海外活動の線引きなど課題は多々ありますが、コンフリクトを戦争以外の方法で解決しようとする戦後日本のあり方は、一定の評価をされるべきです。
しかしながら、現在の中国は、国内的には権力集中・情報統制・抗議運動への弾圧で支配を強化し、対外的には自国利益のため軍事的威嚇を含む強硬外交を行なっており、極めて危険な状態にあります。また、米中間で核兵器の管理に関する条約がないのも非常に不安な要素です。
したがって、日本も現実的な防衛力の強化に進まざるを得ません。場合によっては、今後NATOと共に行動する必要性も高まるかもしれません。それは欧州との実質的な軍事的協力を意味するのか、あるいはアジア及びオセアニアでNATO型の集団的自衛権の体制を講じるのか、憲法との整合性も含めて考えるべき段階に来ていると思います。
私は、ケナンの最大の教訓は、実は、新しい概念を創出すること自体にあったと考えています。ケナンが「封じ込め」という既存のものでない戦略的概念を導入したことで、米国は伝統的な孤立主義とは一線を画す世界戦略を構築することができました。
昨今、マスメディアでは「米中新冷戦」という表現がしばしば見られます。私の考えでは、イデオロギー対立が退潮した点において、冷戦時代と現在は異なる状況にあると思われますが、いずれにしても、これまでなかった状況に対応するためには、新しい戦略の基盤となる新しい概念が必要となるでしょう。
それがどのようなものであるか、私も今考えているところです。防衛力の強化は必要ですが、ただ装備を増やせば良いというほど単純ではありません。武力紛争を起こさせない包摂的な国際秩序を形成するために、皆で知恵を絞る必要があります。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。