
いま、私たちは日本に居ながらにして世界の様々な出来事を知ることができます。それは、国際報道があるからです。では、そうした国際報道から、私たちはなにを考えることができるでしょう。ロシアによるウクライナ侵攻の報道から、国際報道についてあらためて考えます。
冷戦終焉によってロシアにもたらされたもの
いま、世界で最も関心を集めていることのひとつが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻だと思います。このウクライナ戦争において、メディアはどういった役割を果たしてきたのか、あらためて考えてみたいと思います。
まず、この戦争が起きた原因について、様々な議論が報道されています。例えば、プーチン大統領の狂気性とか、NATO拡大による被害者意識、あるいは、ウクライナを同一の民族と捉える拡大民族主義などの観点から論じられることが多いようです。
しかし、ここで見落とされがちになっているのが、冷戦終結以後の国際的な政治環境です。
もともと、第二次世界大戦後、大国が弱小国を攻撃して植民地化するようなことは行わないという共通の認識が国際的にできあがり、それが国際連合の原則として確立されました。
確かに、これは美しい理念ですが、当時、この理念が曲がりなりにも保たれたのは、東西冷戦によってだと言えます。
第二次世界大戦後、民族や宗教、経済的格差による対立が表面化していきますが、冷戦によって、ギリギリの均衡が保たれていたのです。
ところが、1990年代に入るとソ連邦が瓦解し、冷戦が終焉します。このとき、社会主義体制の敗北、自由主義体制の勝利という認識が広まります。
その背景には、まず、冷戦の終焉によって核戦争の危機が去ったという大きな安堵感が世界的に広がり、そこに、アメリカのメディアを中心に、自由主義体制の勝利という位置づけの報道がなされたことがあります。
物事をゼロサムゲーム的に捉えがちなわれわれにとって、これは、冷戦後に訪れた平和に関する非常にわかりやすく、受け入れやすい論説でした。
その結果、実際には、ソ連邦が瓦解しても、ロシアには依然として、広い国土、様々な資源、産業、そして軍事力などがあるにも関わらず、西側の人々はロシアを見下すようになっていったのです。
これが、ロシアの人々をはじめ、プーチン大統領にどれほどのルサンチマン(憤り、怨恨、憎悪、非難の感情)をもたらしたのか、そのことが報道されることはほとんどありませんでした。
その結果、ソ連邦崩壊後のロシアの課題であった経済再建をとにかく推し進め、一定の成果を得たプーチン大統領が、冷戦後に構築されていったアメリカを中心とした国際政治体制に対して、いままでの鬱積した感情を露わにすることが、世界や日本から見て理解できない状況になったわけです。
実は、2014年に、突如、ロシアがウクライナのクリミア半島を併合し、G8から追放されたあと、私はプーチン大統領に会い、取材したことがあります。
そのとき、彼は、G8とは、主要国が集まって国際的なルールを話し合って決める場ではなく、アメリカが、こうしようと言ったことを承認する場でしかないと言い、そんなアメリカの手下のような役回りから解放されて清々している、と言ったのです。
このようなプーチン大統領の認識、感情は、戦後80年近くに渡ってアメリカ的な価値観を受け入れ続けてきた日本人には捉えづらいかもしれません。
そもそも、アメリカのメディアを鵜呑みにしてきたことで、そのバイアスにかかっている日本のメディアにとっては、プーチン大統領が起こしたウクライナ戦争は、彼の狂気としか捉えられないわけです。
しかし、国際報道がそれで良いわけはありません。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。