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2023.10.30

「カッコよすぎて無理!?」 いま、日本語研究者が気になる言葉とは

特集
「カッコよすぎて無理!?」 いま、日本語研究者が気になる言葉とは
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時代の流れで変わっていく言葉や、その使われ方。しかし、流行りの言葉を日本語研究の視点から見てみると、その誕生の背景には一定の法則があることも。今回は、研究視点から見る「最近の言葉」のおもしろさを、文学部・小野正弘教授が解説していきます。

ポジティブな意味の「無理」とは?

――先生が最近気になっている言葉はありますか?

小野:最近の学生たちが使っている言葉で印象的だったのは「無理」ですね。もともとは「不可能」という意味で使われていた言葉ですが、それが転じて「嫌だ」「ダメだ」という意味合いでも使われています。

たとえば、「付き合ってください」と告白されたときに「無理」と言って、断るときなんかにも使える言葉ですよね。

――今は違う使われ方をしているんですか?

小野:たとえば、一人の学生がスマホの液晶に映っているパートナーの写真を友達に見せながら「これ、彼なんだ~」と言っているとします。そうすると、その写真を見たもう一人の学生が「え~、無理~」と楽しそうに言うわけです。どう見ても、否定的なニュアンスは込められていません。

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つまり、「私だったらこんな好みでない男性とは付き合えない」という意味ではなくて、「カッコよすぎて無理」という意味で使っているんですね。おそらく、もともとの「不可能」という意味が 「耐えられないほどにカッコいい(彼氏でいいね~、うらやましい)」という意味合いに転じて、最近の使われ方に変化したものと思われます。

――もともとはネガティブな意味だったのに、ポジティブな意味に転じていくこともあるんですね。

小野:程度の強さを表す強調表現には、そういった転じ方をしているものが多いですね。「ヤバい」や「エグい」なんかも、もともとはネガティブな言葉でしたから、かなり近しい変化の仕方をしていると言って良さそうです。

最近の「無理」の用法自体は新しいものですが、日本語の意味変化という大きな枠組みで捉えると、今まで多くの言葉が歴史的に辿ってきた道であるともいえます。時代が変わっても、似たような現象が起きていることがわかるのは、日本語研究のおもしろみの一つですね。

「沸く」はもともと自分に対して使う言葉ではなかった

――ほかにも、先生が最近気になっている言葉はありますか?

小野:「沸く」の使われ方にも興味があります。最近では、強い憧れの対象である“推し”を想って気持ちが高ぶることを「沸く」と言ったりしますよね。

つまり、自分自身の内面の気持ちを指して「沸く」と言っているわけですが、この言葉はもともと自分に対して使う言葉ではなかったんです。

――どういうことでしょうか……?

小野:「わく」には「沸く」と「湧く」の2つの漢字がありますが、いずれも下のほうから上のほうへと泡がぶくぶく上がっていく「外側の現象」のことを指していました。自分に対して、ましてや内面について語る言葉ではなかったわけです。

日本語研究の意味の世界では、渡辺実先生という日本語研究者が提唱した、自分より外のことについて語る「ひとごと」と、自分について語る「わがこと」の2つの観点があります。今回の「沸く」のケースでは、「ひとごと」から「わがこと」に変化している点が、すごく興味深いなと思ったんですよね。

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――ちなみに、「ひとごと」から「わがこと」に転じた事例はほかにもありますか?

小野:わかりやすいものだと、「ニヤニヤする」がそれに当たります。

「ニヤニヤする」はもともと他人の不快な笑いを表現する「ひとごと」の言葉でした。でも、現在は「誰かからプレゼントをもらってニヤニヤした」とか「うれしかったことを思い出してニヤニヤした」といった自分について使うこともありますよね。

「あいつは今ニヤニヤしてる」というのは、目に見える外の現象だから「ひとごと」として描写できたけれども、自分の顔は自分では見えないわけですから「俺、ニヤニヤしてる」なんて言うと、やや違和感がある。

過去の自分を他人事として描写するようになって誕生した表現かと思いますが、おもしろいですよね。

「気の毒」の対義語は「気の薬」!?

――逆に「わがこと」が「ひとごと」になった事例もありますか?

小野:「気の毒」という言葉がその一つですね。

最近ではあまり使われなくなりましたが、「気の毒」には「気の薬」という反対語があったんです。そして、自分にとって気分が良くなるものは「気の薬」、自分が見ていてどうも嫌だなと思えるようなものが「気の毒」という使われ方をしていたんですね。

つまり、自分にとっての毒か薬かという基準で使われていた言葉が、毒のような状況にある人のことを指して「気の毒」と言うようになってきたわけです。

――気の“毒”に対して“薬”があったんですね。もともとは自分に対して使う言葉だったということも知りませんでした……。

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小野:「わがこと」と「ひとごと」のどちらが前に出て、後ろに下がるかで、意味がシフトするんでしょうね。これは意味変化の世界では、「前景化」「後景化」という呼び方で分類されます。

オノマトペなんかもそうで、ショックを受けたときなどに使う「ガーン」という衝撃を表す言葉がありますよね。「ガーン」という言葉はもともと、「ガーン」という衝撃の“音”を伝えるための擬音語だったんです。しかし、次第に最初は前景にあった“音”よりも、後景にあった“衝撃”のほうに注目されるようになっていきました。このケースでは、音が「後景化」し、衝撃が「前景化」したといえます。

――なるほど。それにしても、「わがこと」「ひとごと」はどうして入れ替わってしまうのでしょうか?

小野:それが説明できたら、学者になれますよ(笑)。私も、今まさにそれを追求しているところです。

なぜそうなるかについて、はっきりしたことは言えないのですが、「わがこと」と「ひとごと」は表と裏のような関係で、完全に別物ではないからこそ、行ったり来たりできるのかなとは思いますね。

「日本語研究」と聞くと身構えてしまう方もいるかもしれませんが、こうした日常の言葉の不思議をひも解くのも日本語研究の醍醐味なんです。こうした身近な日本語に関心を持つことができる方には向いているんじゃないかなと思います。

まとめ

どこからともなく生まれてくる新しい言葉や、その使われ方。
何の脈略もなく生まれてきたように思っていましたが、その背景には広大な歴史があることに驚かされました。

普段使っている身近な言葉の裏側にも、知らなかった景色が広がっているかもしれません。

取材・文:佐々木ののか
イラスト:藤田マサトシ
編集:早川大輝


小野 正弘(おの まさひろ)
明治大学文学部 教授。専門は国語史。日本語の歴史、語彙、意味の変化を研究している。中でもオノマトペについて強く関心を寄せており、新しい言葉が登場したり、若者言葉が流行すると、各方面から依頼があり学術的な分析をしている。有名な国語辞典の編集責任者も務めている。


※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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