
人生のターニングポイントシカゴ・サウスで触れた“保護する空間”としての学校
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【73】
私のターニングポイントは、1994年度にアメリカのシカゴのサウスで暮らしたことです。当時、フルタイムの職を持っていなかった私は、夫の在外研究に無職の配偶者として帯同する形で、シカゴ大学周辺地区に一年間滞在する機会を得たのでした。
シカゴのサウスといえば、インナー・シティ問題を抱えた治安の悪い地域として日本でも知られているかと思います。
シカゴ大学のあるハイド・パーク地域は最貧困地域と隣接しています。その境界にあたる通りを歩くと、片や多数が白人の大学生たちがスポーツに興じ、片や黒人の少女たちが路上に群がっており、非常に対比的でした。
そこでの人々の生活を見聞きしながら、私はそれまで持っていた日本的な価値観、とくに学校について持っていた価値観が覆されるのを実感しました。
当時はバブル崩壊後でしたが、まだ日本は経済的に豊かな時代でした。他方、学校では80年代後半から続発した体罰や管理主義教育、いじめや登校拒否が大きな問題になっていました。つまり、シカゴに滞在する前の私にとって「子どもにとって息苦しく抑圧的なもの」という学校イメージが強かったのです。
ところが、シカゴ・サウスではそれとは異なる学校の姿が見えてきました。低所得地域の子どもたちのために無料で食事が提供されていたり、履く靴にも困っている子どもにとって暖をとる場所であったり、虐待や暴力から守ってくれる大人がいる場所という姿です。
まして、周囲は昼夜を問わず銃声が響くような地域です。ある学校の入り口に設置された石製の十字架のマークには「GUN FREE SCHOOL ZONE」と刻まれていました。学校は、銃で撃たれる確率が路上よりも相対的に低い、安全な場所なのです。
そこは、いわばシェルターのような空間。私がシカゴ・サウスで知ったのは、ごくプリミティヴな意味で、子どもを保護する空間としての学校でした。「学校」はこういう場所にもなれるのかと衝撃を受けたその体験が、現在の私の研究にも影響を与えていると思います。
ビジネスパーソンの方々へ伝えたいことは、もし今いる環境の中で「つらい」と感じていても、その「つらい」環境とは全く違う尺度の場所は絶対に存在する、ということです。私もまた、そのような場所を人に提示できたらいいなと思いながら、仕事に取り組んでいます。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。