
人生のターニングポイント「何歳になっても学ぶことをあきらめない大切さ」ピアノで実感
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【70】
本日は人生のターニングポイントということで、私の音楽経験から生涯学習の大切さについてお話したいと思います。音楽歴をさかのぼりますと、4歳から私はピアノを習い始めました。中高時代は毎朝の礼拝でピアノを弾く役割を任されたこともあります。大学に進学すると、サークルはピアノクラブに所属して、毎週の例会や年2回の定期演奏会などに出演し4年間精力的に音楽活動をしていました。しかし、大学院に進み次第に研究が忙しくなり、ピアノから遠ざかってしまいました。弾かなくなると弾けなくなります。いつの間にか家の中でピアノの音が聞こえることはほとんどなくなり、もう人前で弾くことはないだろうと思っていました。
私がピアノを再開したきっかけは、2014年に明治大学から長期研究休暇(サバティカル)の機会をいただき、首都ワシントンのジョージタウン大学で客員研究員として研究に従事したときの体験にあります。ジョージタウン大学ではダイアナ・オーエン先生と共同研究を進めていたので論文の執筆に忙しかったのですが、日本での生活に比べれば精神的な余裕が生まれました。そこで復活したのがピアノです。ジョージタウン大学はコンサートの開催も頻繁に行っていて、学生に音楽に触れる機会を様々な形で提供していました。私の場合、ジョージタウン大学では研究室を借りられませんでしたが、無料でグランドピアノのあるスタジオを使わせていただけました。キャンパスでは、ボルティモアにあるピーボディ音楽院の先生がいらしていて、本格的な個人レッスンを受けることもできました。ここでルーラ・ジョンソン先生に出会えたことで、またピアノを弾きたい、もっと学びたいという気持ちが高まったのです。先生に、「あなたは何を表現したいの?」と聞かれるなど、アメリカでのレッスンはまるで大学の授業のディスカッションのようで、私にとってはとても新鮮でした。自分で曲や作曲家についてリサーチし、何を伝えるかを考えて表現することは研究に通じる面白さを感じました。
また、ジョージタウン大学では室内楽の授業も聴講という形でオーディションを受けて参加しました。短い期間でしたが、大学で行われるコンサートで最終的に発表することを目標にコーチのレッスンを受けました。学部生とピアノの連弾でシューベルト作曲の「幻想曲 ヘ短調D.940」という大曲を演奏した経験はとてもいい思い出です。地元に住む多くの友人がコンサートに足を運んでくれ、人前で演奏する楽しさを再認識しました。この授業で知り合った学生たちは、物理学や文学など音楽以外の専門科目を学んでいました。そのような学生に実際に演奏を体験させて室内楽を学ぶ機会を提供している大学の授業に触れたことで、新しい形の授業のアイデアにつながりました。
サバティカルから帰国後、新たに私は学部3、4年生向けの「情報コミュニケーション学」という授業のコーディネーターになりました。私が担当する科目では、政治、外交、社会史、文化史など様々な切り口からアメリカ社会を理解することを目的に他学部や他大学の先生方にもご協力いただいています。この授業の企画にはジョージタウン大学で体験したことが一部ですが生かされており、全14回の授業の中で、東京音楽大学の佐藤彦大先生を講師にお迎えして講義と実演を交えた授業が1回あります。
明治大学のアカデミーホールには連合父母会から寄贈されたスタインウェイの立派なグランドピアノがあります。佐藤先生の授業の回では、曲が作られた時代の歴史的背景や作曲家の意図などを解説から学ぶだけでなく、ピアニストによる迫力のある演奏を通じてアメリカのクラシック音楽の発展を学生は体感できます。本格的なピアノの生演奏を初めて聴く学生も多いようで、履修者の中には「大学4年間で一番印象に残る授業だった」と感想を書いてくれる学生もおり、授業は毎年好評です。昨年の授業ではサプライズで佐藤先生と私の連弾による演奏も披露しました。
最後に、私が今日お話したことから多くの方にお伝えしたいことは、生涯学習の大切さです。日々の仕事や生活が忙しく、学びたいことがあっても学ぶ機会がこれまでなくてあきらめていたことはありませんか。仕事との両立は簡単ではありませんが、「何歳になってもあきらめずに、学びたくなった時が学ぶチャンス」であると思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。