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法律上の常識が、人間として正しいとは限らない
2024.01.24

人生のターニングポイント法律上の常識が、人間として正しいとは限らない

リレーコラム
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教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【53】

29歳のとき、今瞭美(こん・あけみ)さんという弁護士と出会ったのが、私のターニングポイントです。バイタリティのある今さんの真っ直ぐな考え方に衝撃を受け、私の民事訴訟法学者としての研究姿勢は大きく変わりました。

同僚の若い民法学者から「ものすごい人がいるから紹介します」と引き合わされたのが今さんでした。この日、今さんは日本弁護士連合会の会議のため、北海道釧路市から上京されていて、少し会話をしたら初対面だった私に、「民訴(民事訴訟法)学者なら、答えを出しなさいよ」と、いきなり問題を出されたのです。

その一つが、知らないうちにクレジット業者から100万単位の訴訟を起こされ、裁判所からの呼び出し状も届かず、欠席のまま判決が下り、給料を差し押さえられたようなケースでした。民事訴訟では、訴状を書留で発送すれば、たとえ本人の手元に届いていなくても、届いたとみなして手続きを進めるという規定があります(書留郵便に付する送達)。また、ひとたび裁判で判決が下されると、その後、蒸し返しを許さない「既判力」というものもあるのです。

これらに対し今さんは、「呼び出しも受けなかったような判決は無効じゃないか」と言うんです。原告と被告、お互いの言い分を聴いて判決を下すのが裁判じゃないかと。判決が確定した以上は拘束力を持つ、という既判力は法律家の常識でしたが、今さんは現場感覚で「人間としておかしいよ」と、それまでに何度も蒸し返しの裁判を起こしていたのです。

呼び出しがあった場合に応じないなら仕方がありませんが、送達文書が届いていないのに手続きを進める制度は、確かに特殊ですよね。そこから私は自分なりに裁判例や歴史をひもとき、送達手続きに欠陥があった場合の判決は無効だ、送達の擬制なら再審で取り消せるという大胆な理論を、10年後に学会で発表しました。10年がかりで宿題を提出したわけです。当時は相手にされませんでしたが、あれから30年後、最高裁判所の判例が180度ひっくり返り、学会も認めるようになりました。今まで切り捨てられていたのが、送達に欠陥があった場合には救いましょうと変わったのです。

電話を受けると深夜まで何時間も話を続ける迷惑なおばちゃんなのですが、画期的な判決をいくつも引き出していて、私はあの人を天才だと思っています。今さんと出会うまで私は、ドイツの文献や歴史文書を読んで論文を書いていました。しかし法律の知識がないような弱い消費者が守られる社会をつくるべきだという彼女の姿勢に刺激され、民法学や民事訴訟法学でも、消費者側から問題を見るようになったのです。今の常識も、何十年後かにはひっくり返るかもしれない。その視点を常に忘れないことが、不確かな社会を生きていくうえでも大切だと考えています。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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