座右の銘、私のモットー「我慢する」ことと「逃げる」こと、常に二つの視点を持つことで事態は動き始める
教授陣によるリレーコラム/座右の銘、私のモットー【11】
中学校の教員だった父が、二人の兄と違いとにかく言うことを聞かない三男坊の私に、家訓として教え込もうとした生き方が、「憂きことのなほこの上に積もれかし、限りある身の力ためさん」という歌にあります。そんな父に反抗し、生き抜くための信条となったのが、陳腐ながらも「逃げるが一番」です。
先述の歌は、地元である秋月(福岡県)の重臣、恵利内蔵助暢堯(えりくらのすけのぶたか)の作とされるものです。九州平定を目論む豊臣秀吉の軍勢に対し、秋月勢では到底太刀打ちできないと悟った暢堯は、主君に和を結ぶことを進言。しかし主君をはじめ他の重臣たちの理解を得られず、腰抜けだと嘲笑を買い、ついには自刃してまで自分の「真理」を伝えようとしたといいます。
父は暢堯がその上で切腹したと伝わる腹切岩に私を連れて行き、「途中で投げ出さずに我慢しろ」という意味で、何度もこの歌を唱えました。父は昭和一桁生まれの農家の長男。とにかく自分に厳しく、我慢をして大家族を率いていくのが当たり前だという人間だったから、私の甘っちょろい生き方が許せなかったのでしょう。
振り返れば、逃げ続けた人生でした。愛媛県にある中高一貫のカトリックの進学校で寮生活をしていた高校3年生のとき、勉学への意欲を喪失し、カバン一つでバイクに乗ってフェリーを経由し京都へ“夜逃げ”。寿司屋で働き始めたものの、毎晩仲間に連れ回される生活に身の危険を感じ、府内の温泉旅館へ“早朝逃げ”。その後、名古屋の料亭を紹介してもらうも、同部屋だった板長の身の回りの世話までしなければいけないことに嫌気がさし、地元の高校に入り直した“逃げ戻り”……。
大学に進学しても真面目な学生ではなく、3年生が終わりに近づいたとき就職する自信がなくなり、留学と称して“スペイン逃亡”を果たします。結局、スペイン語の言語学が専門の先生に師事していたにもかかわらず、当時の日本には同分野の研究者がわんさかいたため、文学へ“転向”。流行していたラテンアメリカ文学では歯が立たないと思い、“逃げ”の姿勢から研究者のいなかった「19世紀スペイン」文学を専攻した、といった具合です。しかし結果として今、好き勝手な研究に没頭できており、満足しています。
とはいえ追い詰められた際に逃げていなかったら、今この世にいなかったかもしれません。「逃げるが一番」は現在、相談を受けた学生にもよく伝えています。辛くてどうしようもないと思ったら、逃げなさいと。その場で我慢なんかしなくていい。ひとまず逃げれば、さまざまなことが解決していって、他に道が見えてくるからと。とにかく生きることが大事なのだから、逃げればいいと。
父が説いた家訓と自らの信条、二つの両極を揺れ動きながら生きた60年です。すべてに我慢しているだけだと、この急変する現代社会では生きていけない。あるときは気楽に方向を変えるという姿勢も大切です。逃げ続けるのは良くないでしょうが、逃げたあとに腰を落ち着ければ、見えてくるものもあります。「我慢する」ことと「逃げる」こと、常に二つの視点を持つことで、どうしようもない事態も動き始めるかもしれません。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
