
人生のターニングポイント“沈黙はご法度”とも捉えるドイツで、言語研究の面白さに目覚めた
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【97】
私のターニングポイントは、ベルリンの壁崩壊の2年前、西ドイツ[当時]北部のミュンスターに留学したことです。この1年間のドイツ滞在が、今日の言語研究を推進するうえでの土台となっています。
今にして思えば、日本の大学や大学院では、ドイツ語、ドイツ文学、ドイツ思想を“なんとなく”学んでいました。もちろん言語には興味があったのですが、所属していたのはドイツ文学を中心とする研究室でした。お世話になった先生が唯一、ドイツ語学の研究もされていたものの、言語研究がメインというわけではありませんでした。
そんななか、20台後半を過ぎた1987年に渡独し、ミュンスター大学の一般言語学科で、言語一般に共通する法則などを見いだす「一般言語学」や「ドイツ言語学」の講義や演習に参加し、遅まきながら初めて本式に言語学に親しみました。その際、ギッパー教授やシュミッター教授ら名だたる教授陣から厳密な言語学の研究手法やアプローチを学び、非常に刺激を受けたものです。学ぶうちにドイツ語の構造分析やレトリックへの興味が深まり、帰国後も言語研究に関心を持ち続けているので、ドイツ滞在はある種の出発点にもなりました。
ドイツの言語文化に触れたことも、自分が変わる大きなきっかけになりました。ドイツ人は決してアグレッシブではありませんが、「話してなんぼ」の社会です。敵意がないことを示すためには、しゃべり続けなければならない。大勢の人が集まるなかで発言しない人間は存在しないものとされてしまいます。留学以降私は、ディスカッションの場においても、真っ先に手を挙げてまずは発言権を得て、話す内容はそれから考えるようにもなりました。
住んでいる人間の行動様式の違い、つまりは異文化を経験することによって、自分の世界が広がりますし、多様な人々と接する際のコミュニケーション能力を高める土台にもなります。文化の多様性を自分のなかにたくさんストックするためにも、外に出て世界を経験することが大事です。とりわけ言語とコミュニケーションの様式を知ることで、その国の文化がわかり、世界の見え方も変わっていくのが、言語研究の面白さでもあります。別言語だから違って当たり前。違いを前提としながら、類似性あるいは共通性が見えてくる研究は、興味の種が尽きません。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。