
人生のターニングポイント新聞記者志望から進路を変えて弁護士へ
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【88】
私は新聞記者になろうと考えて大学に進学したのですが、在学中にジャーナリストの道を諦めて司法試験を受験することとしたのが最大のターニングポイントだったといえるでしょうか。
もともと弁護士になる気はさらさらなく、身近にも法律家もいませんでした。高校生のときには、カンボジアやチリなどで様々な紛争があったこともあり、戦場を取材する新聞記者になりたいと思っていました。
それで、記者になるためには社会や経済のことを知らなければならない考えて、東京大学の経済学部に入りました。いま振り返るとなかなか高い志を抱いていたものです。
ところが、大学在学中に某有名新聞社の記者さんにお会いできる機会があり、私は入社試験のテクニックをうかがいに行ったのですが、まっさきに「君には向いてない」と断言されてしまいました。私が「どうしてですか?」と聞くとその記者さんはこう諭しました。
「社会が望むことだけを書くのが新聞記者だ。君のように書きたいものを書くというのは、新聞記者の仕事ではない」
そしてこうも言われました。書きたいことを書くためにはフリーのジャーナリストになるしかなく、ほとんどのフリージャーナリストはそれだけでは食っていけない、と。
「それなら、自分に言いたいことがあったら、何になったらいいのですか?」と私が問いを重ねると「弁護士になるしかないんじゃないか」と言うのです。
たしかに、弁護士というのは、人からの依頼を受けて仕事をするけれども、この社会にあるべき言説を組み立てて主張をすることができる。そのときまでは弁護士という職業を考えたこともありませんでしたが、一念発起して司法試験を受けるための勉強をはじめたのです。
幸い3年くらいで司法試験に合格することができ、弁護士登録をした後は、ある縁で福祉や社会保障関連の文章を書く機会もいただきました。こうして、さまざまな法的活動を行って文章を書かせられているうちに、いつの間にか研究者にもなっていました。その意味では、私は変わり者かもしれません。
弁護士という仕事には、やはり直接的な行為によって得られる喜びというものがありますが、たとえ仕事の中で直接的な喜びがえられなかったとしても、誠実に仕事をしていたなら、そのプロセスの中で本当に喜んでくれる人が必ずいるはずです。そう信じながら、自分のお金稼ぎのためだけではなく、日々の仕事に前向きに取り組んではみてはいかがでしょうか。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。