
2022.06.28
明治大学の教授陣が社会のあらゆるテーマと向き合う、大学独自の情報発信サイト
数年前、とある公共交通機関のICカードの利用情報が販売されることが報道され、大きな話題となりました。覚えている方も多いと思います。
販売する情報は個人を特定できるものではないため個人情報ではないし、それを買う企業も、どの駅に、どの時間帯に、どんな年齢層の人が多く移動するのかを分析し、マーケティングに活かすことが目的であると説明しましたが、利用者の反感や不信の声は収まらず、情報の販売は中止になりました。
ハッキングによるものであれ、企業の情報管理上のミスによるものであれ、個人情報が漏洩してしまった場合は、人々に大きなリスクをもたらします。しかし、このICカード情報を販売しようとしたケースは、企業が法律などを考慮しながら計画的に実行した情報利用についての反発であり、情報漏洩のケースとは少し違う意味合いを持っています。
ではなぜ、このように騒ぎが大きくなってしまったのか。これについてはすでに多方面から分析がなされ、様々な理由が挙げられていますが、私はその理由の一つに、ICカードに蓄積された行動履歴情報が誰のものであるのかという所有者意識が関わっていると思います。
ICカードの利用者の多くは、カード利用に関する情報がこの交通機関によって収集され利用されていることをなんとなくわかったうえで、カードを利用し続けている。
そこにはメリットとデメリットの明瞭な比較や損得計算などはなく、自分の情報が使われている不本意さは、たびたび切符を買いに並んだりしなくて済むとか、売店で財布を出したりする煩わしさから解放されるといった理由でぼんやりと折り合いがつけられている。
そこに、カード情報の販売という要素が加わるとどうなるか。情報を売るわけですから交通機関には利益が生じるということが明確にイメージされるでしょう。一方、その情報の提供者であるカード利用者には目に見える形でのメリットがイメージしづらい。
こうした不公平感が折り合いのバランスを崩し、メリットもないのに自分の情報が使われるとは許せないという感情が噴出してしまった。
自分の情報が使われることで引き起こされるリスクやデメリットよりも、自分のメリットにつながらない使われ方がなされたことに騒ぎの原因があったといえるかもしれません。