内モンゴルに豊かさをもたらしたトウモロコシ
共産党が中国を統一し、1958年に大躍進運動が始まります。これは、毛沢東思想による急進的な社会主義建設運動で、内モンゴルにも人民公社が設立され、農業生産の拡大が進められます。
しかし、実際は、中国の他の地域と同様、大躍進は実現できませんでした。データを見ると、単位面積あたりの収量は、満州国時代の方が高かったことがわかります。農民たちは豊かになることはできず、ほぼ自給自足の生活のままでした。
そうした状況が、1980年代の改革開放にともなう各戸請負制によって変わり始めます。
中国では、土地の個人所有は認められていません。それは変わりませんが、改革開放によって、農村部の土地は、村民委員会による集団所有という形になり、村民委員会によって、農地の請負経営権と、家畜の所有権が村内の各農家に配分されたのです。
当初は、農作物を国家に売らなければならないというルールもありましたが、それも徐々に自由に売ることができるようになっていきます。すなわち、農家は独立した経営権(家族経営)を手に入れたことになります。これがインセンティブになったことは言うまでもありません。
1950年代に約300万ヘクタールだった内モンゴルの耕地面積は、改革開放以降、拡大し続け、現在では900万ヘクタールを越えています。ちなみに、日本の耕地面積は約450万ヘクタールなので、その倍にもなるわけです。
また、1980年代の初頭の頃は、大豆、トウモロコシ、緑豆、小豆をはじめ、アワやキビなど、様々な雑穀を栽培していましたが、1980年代の後半にトウモロコシの市場価格が上昇したことにより、トウモロコシの栽培が中心になっていきます。
こうした変化は、内モンゴルの農家に豊かさをもたらしていきましたが、それとともに、持続可能な半農半牧畜業を実現していくのです。
先にも述べたように、モンゴル人の農家は舎飼いにして牧畜業を続けていましたが、放牧と違い、舎飼いには大量の飼料が必要になります。農家にとって、それは大きな負担です。
ところが、栽培の中心がトウモロコシになると、その実は、当然、市場に出して売りますが、残った葉や茎は細かく切ったり、サイロ内で貯蔵、発酵させてサイレージにすれば、家畜の飼料になったのです。
以前の日本の農村部にも、こうした自給飼料や堆肥を作るサイクルがありました。しかし、農業人口の減少によって、手間のかかるこうした作業は敬遠され、飼料も肥料も外部から購入するようになっていったのです。
内モンゴルで、こうしたサイクルが持続しているのは、農村内に効率的な分業制ができあがっていったからなのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。