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2025.11.14

【戦後80年】秘密戦を語り継ぐ“明治大学平和教育登戸研究所資料館”で戦争の真実をたどる〈資料館潜入!レポート編〉

特集
【戦後80年】秘密戦を語り継ぐ“明治大学平和教育登戸研究所資料館”で戦争の真実をたどる〈資料館潜入!レポート編〉
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◆第3展示室:秘密戦兵器と第二科スパイ活動や暗殺任務など、戦争のダークな面を担っていた第二科

旧日本陸軍の秘密戦を中心的に支えていたのが第二科です。この科の研究内容を伝える第3展示室では、尾行するときに使うカバン型カメラや嘘発見機、秘密文書を盗撮するライター型カメラや特殊な光を当てなければ文字が浮かび上がってこない秘密インキ、暗殺用の万年筆型毒針や敵の食料庫を破壊する缶詰爆弾など、まさにスパイ映画に出てくるような兵器や機材が紹介されています。この資料館の建物も、もとは第二科の実験棟の一つで、農作物を枯らす生物兵器を開発していた場所だったそうです。

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建物そのものが貴重な戦争遺跡である資料館。流し台や実験器具をつないでいたケーブルの跡など、当時の面影を今も残している
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第二科では7つの班に分かれ、毒物やスパイ機材、生物兵器などの研究開発が行われていた

第二科は、中国での人体実験など非人道的な研究も含むダークな面を背負っていたので、敗戦時、証拠はすべて隠滅され、スパイ活動や暗殺任務が成功したかどうかの記録も残っていません。関係者も話そうとはしないなか、今から約40年前に見つかった、およそ900ページの文書「雑書綴(ざっしょつづり)」で、さまざまな事実が明らかになっていきました。

第3展示室には、その模型と中身を閲覧できる複写品が展示されています。所持していたのは、登戸研究所で働きながらタイピストの学校に通って資格を取得した女性です。彼女自身がタイプした「雑書綴」も本来であれば終戦時に燃やさなければいけませんでしたが、大切な努力の成果だからと守衛に懇願して密かに持ち帰り、保管していたのだそうです。

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登戸研究所が購入した研究資材や研究員の作業状況などが記されていた「雑書綴(ざっしょつづり)」

「雑書綴」に極秘文書は含まれていないものの、毒性のあるヘビや植物、農業害虫のニカメイチュウを取り寄せていた記録が残っているなど、登戸研究所の研究開発内容を裏付ける貴重な資料となりました。さらには研究所での職歴が抹消されていた人たちにとって、年金受給の証拠にもなったそうです。

ちなみにニカメイチュウは中国に空中から撒き、イネを食害させたあとに枯葉剤となる細菌を散布しようと計画されていたものの、運んだニカメイチュウのすべてが羽化して飛んでいってしまい、作戦は失敗に終わったんだとか。これについて研究主任者の手記には、「失敗に終わり安堵した」と書かれていました。

◆第4展示室:偽札製造と第三科高い偽造技術が戦後、米軍に評価され、米国の秘密戦の関わる技術者も

偽札製造を中心に手がけていた第三科について紹介しているのが第4展示室です。第三科では、大量にばらまいて経済から弱体化させることを目的に、主に中国紙幣を偽造していました。

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法幣(ほうへい)(中国・蒋介石政権の紙幣)のほかにも、パスポートやインドルピー、米ドルなども偽造されていた

当時の中国のお札はアメリカとイギリスの支援で世界最高峰の偽造防止技術が盛り込まれていましたが、登戸研究所では、内閣印刷局や凸版印刷の協力も得ながら1年間かけて研究をしました。その間の1941年12月、日本が香港を占領した際に、印刷局の印刷機や原版、紙やインクを接収し、登戸研究所に移送。これらを用いて偽札を大量生産する体制を整え、偽造した約25億元を物資や工作資金の調達に用いたそうです。偽札の現地への流通では、中国マフィアのネットワークなど地元の勢力も動員されたと伝えられています。

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所員が密かに保管していた偽札。当初は「きれい過ぎる」という理由で偽札を疑われた。そのため、製造後にわざと汚し、中国のスパイスで匂いも移して使ったところ、全く疑われずに流通していったという

偽札の大量製造は可能になったものの、戦争が長引くなかで、中国ではハイパーインフレが進み、物価が急騰してしまいました。登戸研究所では、当時多く流通していた5元札と10元札を偽造していましたが、インフレの影響で後に発行された1000元札はつくりが粗雑過ぎて、その下手具合を真似ることができず偽造できなかったようです。結果、4年間で40億元の偽札を製造したものの、中国経済にさほどインパクトを与えることもできず、計画は失敗に終わったといいます。

しかし、その高い偽造技術が戦後、米軍の目に留まり、第三科の一部の人たちはアメリカの秘密戦に関わりました。アメリカのスパイが使う偽造の身分証明書など、現地からのリクエスト通りにつくる役割を担っていったのです。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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