意図や目標とは別の学習効果
野外教育研究には、実践研究の実績があります。例えば、教育キャンプ(組織キャンプ)を実施し、参加者に参加前と後で、どのような変化が生じたかを調査、分析するのです。その結果、社会的スキルや、自己効力感などが向上することが言われています。
しかし、それは、野外教育だからこその効果とは言えません。他の教育方法でもあり得る効果です。例えば、リーダーシップ力はキャンプでなければ培えないわけではありません。
そもそも、キャンプという場や、その自然環境は変数に溢れていて、効果要因を特定することは難しいのです。
一方で、引っ込み思案の子は、「率先して活動する」という目標のキャンプに参加したあとも、もしかしたら引っ込み思案のままかもしれません。それでは、野外教育の効果はなかったのかと言うと、それも言い切れません。
その子は、自然環境の中で、教室では感じられないなにかを感じたり、発見して、引っ込み思案という性質とは別に、その子なりの変化や成長があったかもしれません。
つまり、教育効果というと、その子の社会的スキルや、社会的スキルに対する意欲など大人が求めそうな価値に目がいきがちですが、その子なりの変化や成長も大きな意味をもつものです。
それは、教員側による学習の意図や目標とは、また別のところに派生するインシデンタル・ラーニング(偶発的な学び)とも言えます。つまり、自然は、教員にとっても、その子自身にとっても、思いもしない形で学びの糧となることがあるのです。
例えば、キャンプで雨が降ると、予定していたプログラムがすっかり狂うことがあります。では、そのキャンプは意味がなかったのかと言えば、意外と、子どもたちは雨降りの状況を楽しむ工夫をしたり、意図していなかった発見や気づきをすることもあります。
自然は、一瞬たりとも同じではありません。空も雲も、陽の光も風も。出会う虫も鳥も、聞こえる音も。そして、そうした不確実な多様性への対応の仕方も、感受の仕方も、人それぞれです。そこに、他者とは違う自分、自分とは違う他者を発見する可能性もあるのです。
つまり、野外教育には、予定調和的に学習が進行する教室とは異なる学習の可能性があると言えます。
一方で、知識の積み重ねや社会的スキルの育成を図る教育機関としては、そうした教育効果を保証できない、というジレンマがあることも事実なのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。