
人生のターニングポイント目的を失うこと、その「外側」
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【43】
偉大な哲学者や文学者の生涯を辿ってみると、必ず「空白の期間」が見当たります。
有名なのは、イマヌエル・カントです。もともと40歳くらいまでは、何をやっているのかよくわからないような人でした。
彼が大学教授になれたのは46歳(1770年)で、それから10年ほどは論文らしい論文を書いていません。カント研究者のなかには「沈黙の10年」とも呼ぶ人もいます。
名高い『純粋理性批判』の第一版を発表したのは1781年、実に57歳のときです。それから『実践理性批判』(1788)、『判断力批判』(1790)と立て続けに上梓していきました。
私は、仮にカントにターニングポイントらしきものがあったとしたら、この「三批判書」を書き上げる前に訪れた「空白の期間」だったのではないかと思います。
確固たる目的を持って邁進している人には、何も言う必要はないでしょう。「頑張ってね」という言葉すらいらないはずです。あたたかく見守っていればよい。
ただし、その人には目的の「外側」は見えていません。
大きな目的や目標を持っているとき、それにかかわらないものは全て切り捨てられています。目的に向かって合理的に道筋を計算することが最良の選択肢となるからです。
しかし、ターニングポイントとなるようなものを得るときには、目的の「外側」のものが必要になります。
計画を変更し、合理的ではない道へと進むことが、分岐です。そこにこそ今まで気づかなかった豊かな世界があります。
私の場合、目的を失ったときの他者との出会いや見知らぬ土地への旅などが大きな転換点の一歩手前にありました。
そうした嵐の前の静けさこそが、豊かさであり、実質的な転向点です。
ビジネスにせよそれ以外にせよ、現代は、目的に縛られながらも、目的を失った世界に入り込んでいると思います。
いつでもその「外側」を見られるよう構えておかねばなりません。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。