
太陽の国、メキシコ。同国へ進出している日本企業は1300社を超えており、自動車や部品メーカーの一大生産拠点として注目されています。しかし、ビジネス面でのニュースが先行する一方で、メキシコが持つ複雑な歴史・政治・経済の多層的な様相は、まだ日本で十分に理解されているとは言えません。
メキシコの人々の微笑みは仮面?
多くの日本人にとって、メキシコといえば「陽気でお祭り(フィエスタ)好きの人々」といったイメージがあると思います。
しかし、ノーベル文学賞を受賞したメキシコシティ生まれの作家オクタビオ・パス(1914-1998)は、代表作『孤独の迷宮(El laberinto de la soledad, 1960)』において、メキシコ人にはスペイン植民地時代の「遺産」としての恐怖心や不信感がいまだ残っていると述べています。
〈つまりメキシコ人というものは、己れの中に閉じこもり、身を守る存在のように思われる。その顔が仮面であり、微笑みが仮面である。その気難しい孤独の中に追いやられ、とげとげしくも丁寧な彼にとって、沈黙や言葉、礼儀や軽蔑、皮肉や忍従、すべてが防御のために役立っている。〉(高山智博・熊谷明子訳、法政大学出版局、1982 年)
「メキシコの仮面」とは、面従腹背を強いられてきた人々が生き残るために身につけた処世術であり、いわば自己防衛本能です。
その地域はかつてマヤやアステカといった高度な文明が栄えていました。しかし、コロンブスによる新大陸「発見」以降、300 年に渡って征服者たち(コンキスタドーレス)に支配され続けます。その古代文化と西洋文化の衝突・軋轢の中で、先住民と白人の混血化も進行しました。
パスが〈孤独なメキシコ人は祭りや公共の集まりが好きである〉との逆説で強調するように、「陽気」は彼らの一面でしかありません。表層的な明るさの対極に仄暗い影が落ちていて、その間には一言で表現できないグラデーションが形成されているのです。
たとえば、近年、「グローバル・サウス」という言葉を聞く機会が増えたと思いますが、これをキーワードにメキシコの近現代史を振り返ると、この国がいかに多様で複雑なものを抱えているかが見えてくるでしょう。
そもそも、グローバル・サウスの定義は明確ではなく、論者によって解釈に幅があります。第一義的には、旧植民地のアジア・アフリカ・ラテンアメリカ地域などに属する、冷戦期において「第三世界」と呼ばれた国々のグループを指しており、いわゆる「南北問題」という場合に使われるような伝統的な「南」を表すものとして定義されます。「第三世界」とは、西側諸国を指す「第一世界」、東側諸国を指す「第二世界」以外のグループのことです。
他方、居住国や地域に限定することなく、グローバル化された市場経済の恩恵を受けている人々を「北」、そこから排除・疎外されている人々を「南」と置き、それらを区別する社会的カテゴリーを包含して定義する議論もあります。
これらの定義のいずれにおいても、一時期までのメキシコはたしかに「南」の典型でした。しかし「隣人」の超大国であるアメリカ合衆国との関係の中で、メキシコは経済的にも政治的にも大きく揺れ動くことになります。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。