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NAFTAの経験から何を学ぶのか、TPPへの示唆

  • 明治大学 商学部 准教授
  • 所 康弘

1994年、アメリカ、カナダ、メキシコによる北米自由貿易協定(NAFTA)が発効しました。経済大国アメリカを中心に、経済力の大きく劣った国メキシコが加盟国となっている点に一つの特徴があります。1990年代後半からアメリカは一貫してNAFTAの基準を参照しながら、貿易協定交渉を進めてきました。いま話題の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)もその延長線上にあります。TPPの前例であるNAFTAの経験を考察することで、貿易協定の本質や教訓を、複眼的に学ぶことができると思います。

NAFTAによってメキシコで起きたこと

所 康弘 当初、メキシコはアメリカと自由貿易を行うと国内経済・農業への影響が大きいことを懸念し、NAFTA参加に消極的でした。しかし、1980年代に債務危機に陥った同国は、借金の減額の代わりに市場開放をアメリカや国際金融機関から求められたことで、政府は国民に対してNAFTA参加が経済成長と雇用拡大につながり、参加しなければメキシコの未来はないと訴え、反対意見を封じて協定に締結しました。

 NAFTA参加後、メキシコはアメリカ向けの工業製品輸出を増加させることに成功しました。ところが、輸出品を製造する企業のほとんどはメキシコの低賃金労働を利用するために進出してきた外国企業であり、それらの外国企業が生産のために投入する輸入財(部品など)も、輸出増に比例して急増してしまいました。それゆえにメキシコの貿易収支は改善されず、赤字基調が恒常化し、そのうえ中国がWTO加盟を果たした2001年以降は、アメリカ市場を巡って中国産の製品との激しい競争にさらされるようになりました。労働集約的製品では中国製品の競争力に太刀打ちできず、メキシコ市場でも中国製品があふれ、同国の対アジア貿易赤字が急速に増加したのでした。さらにリーマン・ショック以降のアメリカの景気後退によって対米輸出も減退し、2010年代に入ると貿易赤字額が一挙に増加し続けています。

 それでも輸出増加によって経済成長が順調に伸長していれば構わないのですが、NAFTA以降の同国一人当たりGDP成長率(1995~2000年平均2.1%、01~06年1.3%、07~09年マイナス1.5%)の15年間の数値は、その他の期間と比べて、きわめて低調だったのです。もちろんこの経済停滞にはNAFTA以外の様々な複合要因が影響し合っていて、NAFTAの影響だけを取り出して論じることは困難ですが、それでも貿易協定が自動的に、かつ必然的にバラ色の未来を約束してくれるわけではないと言えます。輸出が伸びてもそれは外国企業によるもので、国内経済や地場産業の成長には繋がらず、雇用創出効果も期待を大きく裏切るものでした。

苦悩するNAFTA下のメキシコ農業・金融部門

 他方、農業では懸念されていたことが現実に起きました。メキシコはごく一部の大規模な地主や資本家が大農場を展開していますが、圧倒的に人数が多いのは零細の小規模農家です。NAFTAによってアメリカから安いトウモロコシやその他穀物(小麦やコメなど)が大量に輸入された結果(国内のトウモロコシ生産それ自体は増えましたが、それは大農場による飼料用など加工目的のトウモロコシがメインです)、小規模農家のトウモロコシは市場に出回ることはなくなり、多くの農家がつぶれ、大量の失業者が生まれました。こうした事態は日本にとって決して他人事ではないでしょう。ちなみに、この失業者たちが移民としてアメリカに渡り、NAFTA発効以降、移民数は激増しています。いま大統領候補になっているトランプ氏が、アメリカ人の雇用がメキシコ人移民に奪われていると演説中に言及したことは、記憶にも新しいと思います。でもメキシコ側から見ると、移民送金は同国の経常収支赤字幅の縮小に大きな役割を果たし、そして貧しいメキシコ人の家計を助ける重要なツールなのです。

 さらに大きな影響が出た分野は、金融分野です。金融や保険分野はアメリカの比較優位産業ですが、NAFTAによって金融自由化と金融分野の資本移動の自由化がなされると、例えば銀行部門においてはアメリカ系の銀行がM&Aを繰り返し、外資化と寡占化がドラスティックに進みました。先進国の金融企業には資金力も金融技術のノウハウもあり、途上国金融システムの規制緩和・自由化は生産部門への低調な融資問題を解決するという古典的な議論がありますが、メキシコ経済や生産部門が本当に活性化されたのかは、大きな疑問が残ります。結論からいえば、2000年代を通じて新たな設備投資などへの融資は極めて低調でした。

 むしろ金融仲介機能は一変し、外資系銀行は証券化商品やデリバティブ商品の販売など投機的手段の事業を増やし、また高利益率を生み出す政府債券の購入、担保付き住宅ローン、消費者ローンに資源を集中させてきたのです。くわえて、その活動はメキシコに進出してきた外国企業や輸出企業(大企業)に対する業務がメインになり、それ以外の多くの国内労働者を吸収している小規模企業や農家にはあまり融資がなされなくなりました。同国の銀行部門は収益性の観点から見れば向上しましたが、反面、いわゆる“敗者”が多く生まれることになったのも事実なのです。ちなみにTPPにおいても金融・保険などのサービス貿易が自由化の対象にされています。

私たちがNAFTAから学ぶべきこと

所 康弘 日本はメキシコほど経済力が劣っているわけではないので、NAFTA下のメキシコに起こったことが必ずしも日本に起こるわけはなく、参考にはならないと多くの人が思うかもしれません。しかし、もっと複眼的な視点で考察することの重要性を、メキシコの事例は示してくれています。TPPに参加するメキシコよりさらに経済力や政治力に劣った加盟国(南米や東南アジアの途上諸国)の経済社会に与えるであろう影響についても、配慮すべきでしょう。

 そもそもTPPとNAFTAでは制度面で類似点が見られます。両協定とも直接的な関税および非関税障壁の撤廃にとどまらず、投資、サービス、知的財産権、政府調達、紛争解決手続きなど広範囲に渡る、まさしく「WTOプラス」とも言える包括的枠組みとなっています。関税撤廃に関する基準も両協定ともに高水準が求められます。そして、NAFTAと同様、TPPのルール作りと交渉もアメリカ政府と同国の特定分野の多国籍企業主導によって進められてきました。将来的にはこのアメリカ流の通商ルールの適用範囲を地理的に拡大させる狙いもあります。製造業のみならず、特に知的財産権の交渉では製薬会社やアグリビジネスなどの利益や便宜を最大化することも図られています。薬の特許保護の強化は、安価な後発医薬品生産の阻害要因となり、途上諸国の人々にとっては健康問題に直結する問題です。また、アメリカの強力な銀行・保険企業はおそらくTPP加盟国に対しても、積極的な進出を進めるでしょう。

貿易協定の内容やその交渉過程をモニターする

 とはいえ、これを単にアメリカの自国中心主義の発現だと思ってばかりもいられません。同じく、私たち自身もTPPを「自国である」日本にとってのメリット、デメリット論のみで思考しがちではないでしょうか。かつてドイツの異能の国際政治経済学者A.ハーシュマンは、「大国と小国、富裕国と貧困国、工業国と農業国などの間の通商関係とは、経済力も政治力も隔絶した諸国家で繰り広げられる、自国や自国企業の利害を最優先しようとする、不均衡な闘争の場」であると指摘しました。彼の著書『National Power and the Structure of Foreign Trade(邦訳書『国力と外国貿易の構造』勁草書房)が出版されたのは、1945年のことです。

 以来、半世紀以上が経ちましたが、私たちは相変わらず貿易や貿易協定を自国の利益や損得勘定の観点から判断しがちな気がします。グローバル化が進む現代において、貿易の役割は重要です。だからこそ、複眼的視野を持って各国のもつ歴史、風土、経済発展の度合い、加盟国間の政治・経済的権力(パワー)の不均衡や階層性などを十全に考慮しながら、各国の国家主権を尊重し、アメリカ企業などを中心とした多国籍企業の利益だけではなく、人々の健康や安心・安全、環境を守り、互恵的な貿易・投資関係を構築していくことが大切です。

 私たちはTPPを契機とし、アジア太平洋地域諸国との相互理解を深めながら、各国が自由貿易の恩恵を対等、かつ最大限に受けることができる公正な貿易システムを構想するべきでしょう。そのためには、私たち市民もTPPの交渉やその内容に関心をもち、それが12ヵ国全てにとって持つ意味を理解し、逐一、モニターしていくことが必要です。ところが、今年4月の衆院特別委員会で交渉経過の文書が守秘義務契約を盾に、表題以外すべて黒塗りで開示されました。市民生活に大きな影響を及ぼす貿易協定であるにも関わらず、民主主義の根幹である国民の「知る権利」と逆行するこうした秘密主義に対しては、戸惑いを禁じ得ません。

※M's Opinionの記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

プロフィール

所 康弘

明治大学 商学部 准教授

研究分野
貿易論
研究テーマ
自由貿易協定および地域貿易統合の現状と課題に関する研究
主な著書・論文
  • 『北米地域統合と途上国経済 ―NAFTA・多国籍企業・地域経済―』(西田書店,2009年)
  • 『新自由主義に揺れるグローバル・サウス』(共著・ミネルヴァ書房,2013年)
  • “México y Japón: una perspectiva del Acuerdo de Asociación Económica”, ECONOMÍA-UNAM, Vol.3, No.7, Universidad Nacional Autónoma de México, 2006.

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