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2026.04.09

同性カップルの婚姻に、どのように最高裁は答え、国会は応えるのか

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「合憲」判断を下した東京高裁の論理への疑問

 第一審の6つの判決は、結論こそ分かれたものの、少なくとも共通していた前提があります。それは、日本国憲法が同性婚を明示的に禁止しているわけではない、という理解です。そのうえで、婚姻制度の枠内に同性カップルを含めるのか、それともパートナーシップ制度のような別制度を設けるのかについては、国会に一定の立法裁量があると位置づけていました。たとえ「合憲」と判断した大阪地裁判決であっても、同性婚の立法が憲法上禁止されているとまでは考えていません。

 これに対し、控訴審で(東京第二次訴訟を除く)5つの判決は、より踏み込んだ判断を示しました。同性カップルが婚姻制度を利用できないこと自体が憲法に違反するという立場をとり、同性カップルの不利益を解消するためには、単なるパートナーシップ制度の導入では足りないと明言したのです。婚姻によって生じる法的効果の一部を与えるだけではなく、婚姻そのものを開放することが必要だという方向に司法判断は収斂しつつあるかに思えました。

 ところが、その流れの中で出された2025年11月28日の東京高裁判決は、明らかに異質なものでした。東京第二次訴訟の控訴審判決は、これまでの高裁判決の傾向とは逆に、現行法を合憲と判断したからです。高裁段階で唯一の明確な合憲判断であり、全体の潮流に逆行する特異な位置を占めています。

 同判決の特徴は、まず「同性カップルは憲法上の婚姻に含まれない」ことを明言した点にあります。そして、同性カップルの関係は「同性の者同士の事実婚」として捉え得るとし、その保護の在り方については立法府に委ねられるべきだとしました。すなわち婚姻制度の枠内の問題ではなく、憲法24条2項の「家族」に関する法制度をどう設計するかという問題として位置づけ、国会の裁量を広く認める構成をとったのです。これは、第一審以上に立法裁量を尊重する立場といえるでしょう。

 しかし、ここには大きなズレがあります。原告が求めていたのは、「事実婚の制度化」ではありません。異性カップルと同様に、婚姻をすることができるという平等な地位です。婚姻そのものを否定したまま、事実婚的な保護を制度化すればよいというのは、原告の請求の核心をすり替えているといわざるを得ません。

 仮に、事実婚制度の整備によって配偶者控除や相続権などの不利益が一定程度解消されるとしても、婚姻と区別された制度にとどまる限り、そこには象徴的な格差が残ります。異性のカップルだけが婚姻の制度に属し、同性カップルはそこから「排除された」別の制度に属するという構図は、社会的に“セカンドクラス”という印象を与えかねません。家族の形成に関する法制度は単なる財産的効果の集合ではなく、社会的公証(身分関係の証明)という意味も持っています。その点を軽視する議論には強い違和感を覚えます。

 さらに問題なのは、東京高裁が「同性カップルは憲法上の婚姻に含まれない」とする理由づけです。判決は、憲法制定当時、同性カップルが社会的に承認されていなかったことを重視し、したがって憲法24条の「婚姻」に含まれないと論じました。しかし、憲法の解釈を制定当時の社会通念に固定するという考え方は、今日において大きな問題をはらんでいると私は考えています。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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