価値次元のジャンプに必要な「リーダー」と「製品観」
任天堂がこうした価値次元のジャンプができる背景として、ソニーやマイクロソフトのような他社に優越する基盤技術を保有していなかった点が挙げられると思います。エレクトロニクスやソフトウェアの技術開発力では不利な立場にあったため、任天堂は別の切り口で戦う必要があったのです。
この技術開発力のギャップを埋める発想として、よく知られているのが「枯れた技術の水平思考」です。これは、かつての任天堂の技術者・横井軍平さんの開発哲学で、すでに他の分野で実用化されている技術を新たに組み合わせて、新しい価値を創出するというものです。
この考え方は、経済学者シュンペーターのいう「新結合」にも通じます。つまり、まったく新しい技術をゼロから生み出すというよりは、既存の技術やアイデアをうまく組み合わせて、新たな使い方や価値を提供することに重きを置いているのです。
では、任天堂のように既存の次元を離れ、新しい価値次元に飛び移るためには、何が必要なのでしょうか。私の研究では、主に2つの要因があることがわかってきました。
ひとつは、「構想力のある強いリーダーの存在」です。既存の価値次元上の製品開発であれば、目指すべき目標が明確であり、開発陣が自然と同じ方向を向いて作業を進めることができるため、強力なリーダーシップがなくてもある程度は進んでいけます。しかし、新しい価値次元にシフトする場合には、何を目指すのか、どのような次元に移るのかがはっきりしないことが多いのです。こうしたとき、進むべき方向を見極めてチームをまとめる、構想力を持ったリーダーが必要になります。任天堂で言えば、岩田聡元社長がまさにその存在でした。
ふたつめは、「企業としての製品観が明確であること」です。任天堂の場合、玩具メーカーとしての原点から連綿と受け継がれてきた「ゲームをみんなで楽しむ」という製品に対する価値観がしっかりと根付いています。この製品観が社内で共有されているからこそ、新しい価値次元へジャンプの際も、開発チームはためらわずにその方向に進むことができるのです。
新しい価値次元へジャンプすること自体は、理論上はどの企業にも可能です。しかし、実際にそれを実現できている企業は非常に少ないと感じます。それは企業としての製品観、つまり製品が「何を目指しているのか」が社内に浸透していないからではないかと私は考えています。
ここで強調したいのは、「競争戦略とは、何かを選ぶことではなく、何かを捨てることだ」という点です。企業は多くの顧客に受け入れてもらおうと、無難で平均的な製品を目指しがちです。しかし、そうしてできあがった製品は、結果的に他社と似たようなものになり、差別化が難しくなってしまいます。
新しい価値次元で戦うためには、意図して何かを捨てなければなりません。たとえば、Wiiは演算処理性能の向上を捨て、その代わりに直感的な操作感や家族との共有体験という別の魅力を打ち出しました。つまり、既存の価値をあえて捨て、独自の特徴を尖らせることが、競争戦略の鍵になるのです。
このように企業の競争戦略には、単なる資本力や技術力では測れない面白さがあります。ときには、小さな企業が大企業に勝つこともある。この「小さな企業が創意工夫で大企業に挑む」ダイナミズムこそが、競争戦略の研究の面白さです。
任天堂は、ソニーやマイクロソフトのように巨大なエレクトロニクス・IT企業ではありません。元々は玩具メーカーで、企業規模や単純な技術開発力で見れば劣っていたかもしれません。それでも、独自のアイデアと戦略で市場を切り開き、ときには業界のトップに立つことすらあります。
企業はどのようにして新たな価値を生み出していけるのか──そのヒントが、任天堂の競争戦略から見えてくるのではないでしょうか。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。