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2022.10.19

ポストフェミニズムと言い切って良いの?

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分断される女性同士の結びつき

 一方で、ポストフェミニズムの時代と言われるいま、女性たちの間で分断が起きています。

 まず、制度上、教育や雇用の機会が男女平等になったことで、女性の社会進出が高まりつつあります。そうした女性たちはキャリアウーマンとして、「ガラスの天井」にぶつかりながらも、男性と同じように社会的成功を得ることを目指しています。

 一方で、専業主婦として、働く男性を支え、家庭を守るという役割を選ぶ女性も少なくありません。

 これらの女性たちは、しばしば対立構造として捉えられがちですが、それぞれの価値観による生き方であり、どちらが良いとか、正しいと言うものではないでしょう。

 そもそもフェミニズムとは、互いの生き方を否定するためのものではなく、人生における選択肢や可能性を広げるためのものです。上記の女性たちの多くは、どちらも自分の選択によって生きていると言うことができるでしょう。

 ところが、このようなキャリアウーマンと専業主婦という二項対立から取りこぼされる女性たちも存在します。

 例えば、何らかの事情によってキャリアを諦めざるを得なかった人、結婚を望んでもできなかった人、あるいは、結婚したが離婚した人。そういった人たちは非正規雇用で働き、収入が低く、貧困に陥る場合が多々あります。

 こうした女性たちは、キャリアウーマンと専業主婦の対立構造にそもそも含まれず、孤立化、分断化してしまっているのです。

 その背景には、現代社会に広がる新自由主義による自己責任論と、想像力の欠如があると思います。

 すなわち、キャリアウーマンも専業主婦も、あるいはそれ以外の生き方もすべて自己選択であり、結果的に貧困に陥っても、それは自己責任であるということです。しかし現在、そうした貧困に苦しむ人々を助けたり、彼らに手を差し伸べるという意識が社会全体で希薄になりつつあります。

 実際、大学の授業で、貧困に直面している人を取材した映像を学生に見せて感想を取ったところ、この人は頑張っていないから共感できないとか、お金のない人は切り捨てるべきだ、といった意見も出てきます。

 この場合、その映像に出てくる一個人を見ただけの感想であり、その人がそういった状況に陥った様々な事情や、社会制度あるいはセーフティネットの機能不全といった社会問題にまでは想像が及ばないのです。

 なぜ、私たちは、目の前に示されたものだけでしか物事をとらえられず、その背景にまで想像をめぐらせられないのでしょうか。なぜ、自己責任論で片づけてしまうのでしょうか。これは、日本社会全体にとって喫緊の問題だと考えています。

 また、多くの女性は、なにかを選択するためになにかを犠牲にせざるを得ないのが現状です。キャリアウーマンを目指すがために結婚や出産を諦めたり、その逆に、結婚するためにキャリアの途を諦める場合もあります。

 仕事と家庭の両立を可能にする方策のひとつとして、社会制度や公助・共助の仕組みが構築されつつあるものの、それらが必ずしもうまく機能しているとは言い切れません。

 第一波、第二波フェミニズムによって得たものはありましたが、新自由主義社会のもとで個人主義が進み、自己責任が問われ、誰もが自分自身のことだけで精一杯という現在の状況が、女性たちの分断を生んでいると言えるのかもしれません。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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