
2023.03.23
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ところが、多くの新作は「見得とか隈取とか宙乗りとか、歌舞伎でおなじみのテクニックを使って処理してみたらこんな風になりました」というレベルをなかなか越えられずに苦戦しているように見えます。
一つの演劇作品として見るならば、無理に歌舞伎にしなくても普通に現代劇やミュージカルの俳優さんでやった方がよほど面白いのではないか、などと思うこともあります。
さりとて、いつもいつも「勧進帳」と「弁天小僧」の繰り返しでは…と、話が元に戻ってしまうのですが、要はバランスの問題でしょう。
古典をしっかりと演じられる力があるからこそ新作の存在が輝くのであり、新作を上演することで、古典作品や伝統的表現の値打ちと奥深さがはじめてわかることもあるでしょう。
ただ、いずれにしても、歌舞伎オリジナルの新作を生み出すのではなく、「このマンガが若い人たちに流行ってるらしいからやろう」とばかりに、もっぱらヨソの畑からネタを借りてこざるを得ないのは、やはりジャンルとしてのポテンシャルが低下していることを示しているような気がします。
また、私が歌舞伎を見始めてからのたかだか三十数年間でも、舞台にかかるレパートリーは確実に減ってきているように思います。上演が間遠になればなるほど、その演目はあっという間にホコリをかぶり、観客の記憶からも役者の記憶からも消え失せていきます。
それもまた歴史の必然といえるかもしれませんが、例えばシアターコクーンで上演されてきた「コクーン歌舞伎」は、純然たる新作というよりも「古典作品を新演出で上演する」というコンセプトで、見慣れた有名演目、あるいは長らく上演の絶えた場面の意外なおもしろさを再発見させて、クオリティの高い舞台を生み出しています。
新たな創造を志すのであれば、隈取や宙乗りに頼ったり、マンガの人気にあやかったりするだけではなく、歌舞伎という大衆芸能の王様が生み出し続けてきた「物語」の力を、もっと信頼してよいのではないでしょうか。
一見、遠い遠い回り道のようでも、古典や伝統と呼ばれるものだけがもっている価値を足元からじっくりと見つめ直す方が、長い目で見れば実りの多い道である気がします。
歌舞伎は今も進化を続けています。ぜひ歌舞伎に足を運んで、舞台を、役者を、生で観てみてください。
そのとき大切なのは、予習をしていくことです。よく「難しいことを考えずに感覚で楽しんでください」などという売り文句を耳にしますが、分野を問わず、古典と名の付くものを味わうためには、どうしても基礎知識が必要になります。
幸い、今はインターネットなどで手軽に情報を得ることができます。ストーリーをざっと確認していくだけでも、歌舞伎見物の楽しさは何倍にも増すと思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。