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2018.09.05

ゲームで一人勝ちは楽しくないことを、実は、みんな知っている

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ゲームと日常が重なりはじめている

 ホイジンガが「ホモ・ルーデンス」を著わした1938年、彼は、遊びは日常生活から区別される、と言っています。ゲームはシンプルだから楽しめるのであり、現実世界は複雑すぎて楽しめないからです。ところが、近年ではゲームと日常生活が接近し始め、むしろ、重なり始めています。例えば、現代の経済活動は金融の操作で成り立っていますが、そこにはコンピュータが導入され、完全にゲーム化しているといえます。また、コミュニケーションツールをはじめ、メディアがデジタル化されてきたことで、人間の思考方法がシンプル化していることも現実世界のゲーム化に繋がっています。

 こうしたことは、もちろん、ITの発展によるものですが、背景には過剰人口があると思います。日本や先進国の一部では少子化で人口減が問題となっていますが、世界全体で見ると人口は増加していて、70億人を突破しています。国別でトップの中国は約14億人に達しようとしています。すると、あれだけ広い国土とこれだけの人口を、中央が決めたルールに従って管理しようとすると、人々の日常をシンプル化するのは有効な方法であり、そのためのツールとしてデジタルメディアは非常に効果的なのです。

 実は、ゲームのプレイヤーは決められたルールに則ってゲームをしなければならず、ルールを逸脱する者は排除するという仕組みは、ゲームのもつ、ある種、負の側面といえます。しかも、一元的な管理を目的とした社会のシンプル化は、日常をゲーム化するとともに、ルールに従わない者を厳しく排除することを徹底しはじめます。ヨーロッパでは、少数民族が独立して国家を形成するというケースもあります。つまり、別のルールをもった者たちを切り離して認めるわけです。しかし、中央が決めたルールの下で、地方や周辺の民族も同じプレイヤーになることを求めていくのが、中国が長い歴史の中で培ってきた中国のルールです。人口の増加は、そのルールの徹底に拍車をかけているように思えます。ところが、同じようなことが、期せずして日本でも進行しています。日本の場合は背景に人口の増加はありませんが、デジタルメディアの発達により、人々の思考がシンプル化し、そのため、周囲と異なる意見や少数派の考えを顧みるという「複雑」な工程が面倒になり、ただ一方的に排除することで、約束されたルールが守られることに大多数の人が安心する傾向を強めているのです。この傾向はアメリカでも見られます。例えば、古典的な修辞法を用い、文章を実にきれいに複雑に作る訓練を受けたオバマ前大統領に代わり、知的なものはいらないと言い放ち、自分自身も中学生レベルの単純でシンプルな作文をツイッターに載せるトランプ氏を大統領に選んだアメリカは、まさにシンプルな思考の下、国際政治をゲーム化し、一人勝ちを目指す子どものようになっています。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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