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2025.03.06

“攻めと受け”の演技とリーダーシップ

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国際的に評価された日本人俳優の「受けの演技」

 一方、海外では「演劇的感性」を発揮している政治家が多いのに、現在の日本の政治家や指導者にはそのような事例があまり見られないように思います。これはなぜでしょう。

 日本人がこの手の熱狂が苦手であるとか、そういった政治家を好んでいないかというと、そうではないと思います。それはかつて、小泉純一郎元首相が「自民党をぶっ壊す」という強烈なフレーズで人々の注目を集め、爆発的な人気を誇ったことからもわかります。

 ただ、やはり小泉氏は例外なのかもしれません。ここで私が指摘しておきたいのは、そもそも「演劇的感性」に対するアプローチや受け止め方が、日本と海外とでは異なるという点です。

 もともと、日本語には主語を省略しながらもコミュニケーションを成立させる特徴があり、「我」を強く押し出すことが必ずしも良しとされません。美徳とされるのは、自分を出すよりもむしろ、相手を受ける、という姿勢なのです。この文化的背景は日本人の演説や対人関係の築き方に影響を与えているとされます。この特性が、日本人が「演説下手」とされる理由の一つとも考えられます。なかなか海外の政治家のような巧みな「攻め方」が生まれないのは、仕方ないことなのかもしれません。
 
 ただし、「演説下手」が「演技下手」とイコールになるかというと、そうではありません。実際に、日本人の俳優は決して「演技下手」ではなく、世界的に「名優」との評価を得ている人もいます。たとえば、小津安二郎監督の映画では、登場人物が他者の言葉や感情を受け止める描写が作品の静かな魅力を支えています。そして笠智衆をはじめとした俳優たちがその小津の演出を見事に体現しています。こうした小津映画は、世界中にファンがいることでも知られています。

 実は、名優というと、自分の主張や感情を堂々と伝える「攻めの演技」ができる人というイメージがありますが、日本文化に根付く「押さない文化」や「引く姿勢」は、むしろ「受けの演技」という形で力を発揮してきました。日本の名優たちは、話すよりも聞くことで国際的に評価されてきたのです。

 現代の「受けの演技」を代表する俳優としては、たとえば明治大学の卒業生である松重豊さんが挙げられます。彼が主演を務めるドラマシリーズ『孤独のグルメ』(2012-)は、特に後半になると、ほぼ独り言と食事のシーンだけで物語が進みます。料理を美味しそうに食べる姿だけで場面を成立させる演技は、日本人ならではの感性の表れかもしれません。海外、特にハリウッドの作品だったなら、このようなシーンであれば、隣の客や店員に話しかけるたりと、「攻めの演技」で補完してしまう形を取ってしまうのではないでしょうか。

 松重さんはもちろん「攻め」もこなしますが、「受け」によって画面を成立させる力量や、状況を受け止める懐の深さにおいて独特の存在感を発揮しています。これは日本人俳優の特性として、特に秀でた点ではないかと思います。

 渡辺謙さんや役所広司さんも、海外で高く評価される日本の俳優ですが、やはり、そうしたした「受け」の演技が光る俳優さんでもあります。渡辺謙さんはブロードウェイの舞台にも立つなど、国際的な活躍をしていますが、その演技の核心には、まず相手の言葉を受け止めるという姿勢が感じられます。海外では主役としての登場機会は少ないものの、脇役に徹して主役を引き立てる「受け」の演技で評価されてきました。

 また、真田広之さんは若手の頃は二枚目俳優として鳴らし、最近ではアメリカのドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』(2024)でも話題になっていますが、もともとハリウッドでの初陣となった『ラストサムライ』(2003)では、主演のトム・クルーズを引き立てる「受けの演技」でその確かな実力を示しました。

 もちろん海外の俳優たちも「受けの演技」ができないわけではありません。訓練された俳優ならば、相手のセリフを受け止めながら次に進む演技の重要性を十分理解しています。特にイギリスの俳優は舞台経験が豊富であり、「受け」による演技が自然と身についていると言われます。

 そのため、ハリウッド映画ではイギリスの舞台俳優が脇役として起用されるケースが多いのです。ハリウッドのムービー・スターのシステムに乗ったアメリカの主役俳優が必ずしも繊細な演技を得意としない場合でも、「受け」を担うイギリス出身の俳優たちが脇を固めることで、全体として作品が引き締まるという効果があります。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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