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2025.03.06

“攻めと受け”の演技とリーダーシップ

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石破茂首相のゆっくりとした語り口に注目

 さて、「政治のなかの演劇的感性」というテーマに話を戻すと、国際政治の現実として、常に「受ける」だけでは交渉は成り立たちません。場面によっては「攻め」に転じる必要もあるでしょう。しかし、自分の不得意分野を克服することに集中しすぎるのではなく、持ち味を正確に理解し、それを活かす姿勢も重要ではないかと私は思います。

 たとえば、石破茂首相を演劇的なパフォーマンスの観点から見ると、彼を特徴づけているのはあのゆっくりとした語り口です。自分の主張を押し出すというより、相手の話を受け止める姿勢を感じさせます。その意味では、先に述べた「受け」のパフォーマンスの応用形と言えるかもしれません。そこに徹して地道に信頼感を得るというスタイルで、これは、石破首相にとって一つの強みになる可能性があるといえるかもしれません。(ただ、現時点では、残念ながら、その石破氏の強みも、徐々にしりすぼみになっている印象もあります……。いずれにしても今後の巻き返しに期待したいです。)

 日本人の名優の例を見ても明らかなように、実は「受け」というのは、一方的なものではありません。素晴らしい「受け」は、「攻め」の俳優を輝かせると同時に、作品全体を成功に導いた立役者として、自らを渋く輝かせるのです。

 野球にたとえるならば、いくら素晴らしい球を投げるピッチャーがいても、それを受けるキャッチャーがうまく機能しなければ試合は成立しないのと同じです。キャッチャーは、ピッチャーをコントロールしながらフィールド全体を把握し、支配する役割を担います。

 政治の世界においても、こうした立ち位置からの地道な対話やコミュニケーションを積み重ね、「攻めるための受け」を活かすことが重要になってくるのではないでしょうか。「受け」に徹しながら新しい可能性を模索する姿勢は、日本独自の強みであり、今後さらに探求すべき面白い視点だと感じます。

 結局のところ、政治における「演劇的感性」は、国ごとの文化や背景に応じて異なっているのだと思います。トランプ氏の「攻め」、ゼレンスキー氏の「応用的な攻め」、そして日本の「受け」のスタイル。パッと分類しただけでも、かなり多種多様ですが、これらに限らず、それぞれの特性を理解し、文化に即したかたちで応用していくことが、未来のリーダーにとって必要なスキルとなるのではないかと考えています。そして私たちも、そうした広義の「演技」を意識していくことで、政治家の「本質」にアプローチできるのではないかと思うのです。

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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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