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アメリカに、キノコ雲をマスコットにする高校があるのはなぜか?

石山 徳子 石山 徳子 明治大学 政治経済学部 教授

先住民にまなざしを向け始める動き

 もちろん、こうした核をめぐるさまざまな環境問題については、先住民部族政府をはじめ、草の根の市民団体や環境団体なども訴えてきましたが、ことは簡単ではありません。

 例えば、核施設ができたことにより、地域が潤い、住民たちの生活レベルがアップしたという側面もあります。つまり、これといった産業がない辺境の地においては、核施設は重要な経済基盤であり、雇用機会を提供する存在でもあるのです。ですから、地域社会に分断が起きやすい、という仕組みがあります。

 また、核開発が国防を支えた、という意識は政府だけでなく、核施設があった地域の住民にもあります。彼らには、自分たちが国防を支えたという愛国主義的な誇りがあるのです。

 実際、ハンフォード周辺では、キノコ雲をマスコットにしている高校もあります。彼らは核開発の歴史のシンボルを地元の誇りとして、受け継いでいるのです。

 ところが、それを見た日本人留学生が驚き、そのキノコ雲の下でなにが起こったのか、被爆した側にはどのようなストーリーがあったのかを留学先の高校で紹介したところ、ワシントン州内外のマスコミが取材するほどの関心を呼びました。

 どのような歴史が、どのように記憶されるのか、という問題は、先ほども触れた先住民の歴史の解釈についても関わっています。

 例えば、決してトランプ候補には票を入れなかったであろう、とてもリベラルな思想を持つ友人が、ハロウィンで、英国からの入植者を助けたヒロインとして神話化されてきた、ポウハタン族の女性であるポカホンタスの仮装をして楽しんでいて、これをFacebookに投稿しているのを見たことがあります。彼女は、人種差別問題にも敏感で、自分の周りで差別的な行為を目撃したら、即座に異議を唱えるような正義感の強い人です。ですから、この投稿をみたときには、ショックを受けました。

 先住民族は過去の存在であるという誤解が社会に浸透し、侵略の歴史とステレオタイプが容認され、さらに増殖しているのを目にする先住民の人たちが、怒りや悲しみを感じる、さらには過去のトラウマが蘇るといった状況に、なかなか思いが至らないという一例でしょう。

 つまり、アメリカに住んでいる人びとのなかには、同じ大地で生活していながらも、たくさんの先住民が今も植民地主義の歴史の延長上にあって、さまざまな苦労を強いられていることに気づいていないケースも多くあります。

 こうした社会的な分断は、アメリカ社会のみならず、日本も含むさまざまな場所にもみられる差別の構造を示しているように思います。

 新型コロナの感染問題について、考えてみましょう。この感染症によって重症化する割合は、先住民の間でとても高いというデータがあります。それは、もともと糖尿病や高血圧などの持病をもっている先住民が多いからです。貧困などを理由に、満足な医療を受けることができなかった人もいます。

 また、先住民のなかには、自宅に水道や下水が通っていないため、基本的な予防ができない人もいます。さらには、ネット環境はおろか、電話もつながっていないような地域では、感染症に関する情報の周知が、特に最初の段階で、うまくいかなかったケースもありました。

 こうした現実を、都市部に住む人たちの大半が知らない、もしくは知らされていないのです。

 繰り返しになりますが、このような分断状況はアメリカだけの問題ではありません。社会の周縁部、弱い立場に置かれた人たちの状況に、まなざしを向けない傾向は、日本にもあります。

 日本に住む私たちにしても、当事者でなければ、例えば、アイヌ民族の歴史と現在、米軍基地が集中する沖縄の歴史的な立ち位置、また、原発が建てられ、核関連施設が集中する地域の事情を理解し、自分の問題として捉えることが、できていない場合も多くあるでしょう。私自身も含め、反省すべきことは多く、今後に向けて考え続けていかねばと思っています。

 アメリカはバイデン政権のもとで、重要な閣僚ポストである内務長官に、ラグーナ・プエブロ出身の女性が就きました。このことは、アメリカという国のあり方が変わっていく、ひとつのきっかけになるかもしれません。もちろん、楽観視できない側面も多くありますが、多くの先住民が彼女の活躍に期待を寄せています。

 先住民族の歴史と存在そのものが不可視化されている現実は深刻ですが、先住民が声をあげることからはじまり、連帯が広がり、変化の兆しはみえてきています。虐殺と侵略が続いていた19世紀に比べれば、21世紀の現状はもちろん改善されているとも言えましょう。その背景には公民権運動、これにつづく先住民族によるレッド・パワー運動の系譜があります。ブラック・ライブズ・マター運動においても、先住民族と黒人との間に連帯が見られます。

 そして、土地の所有に関して言えば、アメリカやカナダでは最近、イベントの前後にその土地の先住民族に対して敬意を表し、これを公に認知することが増えています。大学でもそうですし、地域のコンサートやお祭りなどの場で、「この土地は、もともと○○という先住民族の土地でした」というアナウンスを行うことが一般的になっているのです。また、大学の教職員のあいだでも、メールなどの住所や署名欄に、地元の先住民族の存在を表記する人が増えてきています。

 こうした動きや変化が日本にもあるでしょうか。私たちが取り組むべき課題が、多く残されているように思います。

 環境問題、貧困や格差、人種の問題、さまざまな形の差別など、自分たちにとって都合の悪い歴史や、現状に向き合うことを疎かにすれば、実は、大切なものを失っていることに、私たち自身が気づかなければならないのではないかと思います。

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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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