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2019.01.09

18歳の大人たちに、糧となるのはしっかりとした法教育

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自治体は、同性カップルを公的パートナーとして認めはじめた

 つまり、今回の民法改正は、本人の意思や自主性を尊重する社会のあり方を見直す、というきっかけにもなると考えます。

 その視点から、例えば、同性カップルの問題を考えてみましょう。同性カップルを公的にパートナーとして認める制度を導入する自治体が出てきている一方、国は、夫婦とその子どもを家族と定義する従来の概念を変える姿勢は見せていません。

 しかし、性的少数者といわれる人たちが、自らの生き方をしっかりと選択するようになってきたことは、夫婦とは何なのか、子どもがいないことを無価値と見なして良いのか、といったことを改めて考えるきっかけになりました。それは、誰と一緒に過ごしたいのか、という問題であり、その意思は、社会が干渉する問題ではないということなのです。最高裁は、同性カップルの婚姻届は認めない判決を出していますが、それは疑問です。

 もっとも、同性カップルの多くが、その形を婚姻とか、夫婦という概念で括られることを望んでいるのかわかりませんが、実は、それは、法的保護に関係してくる問題なのです。

 例えば、最高裁は、近年、内縁関係を準婚として認めるようになり、内縁の法的保護が与えられるようになりました。しかし、同性カップルには法的保護は認められていないため、様々な権利はもちろん、会社員であれば、受けられるはずの配偶者手当などの福利厚生も受けられないことになるのです(会社によっては認めているところもでてきていますが)。

 多様性や柔軟性があり、誰もが生きやすい社会を私たちが目指すのであれば、同性カップルに対して干渉や差別をするのではなく、寛容であるべきであり、それを普及させるのは、概念よりも、誰に対しても法的保護があるという社会の仕組みなのではないかと考えます。自治体がそれを制度化しようとし始めていることを、国や最高裁も直視するべきではないでしょうか。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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