経営とは、私たちの「生活」の延長上にある企業の営みのこと
さて、そもそも経営学における「経営」の意味とはなんでしょうか?
紀元前5〜3世紀の中国の儒教の教書である「四書五経」のなかに、「経之営之」(これを経し、これを営す)という言葉が記されています。意味としては、おおむね次のようなことを示唆する言葉であったようです。
目の前に更地があり、自分の住まいとする家を建てようとします。そうしたとき、4本の柱を立てて屋根を葺き、四方を壁で固めれば、少なくとも雨や夜露はしのげますが、適当に家を建ててしまえばいいのかというとそうではない。風通しや日当たりなどを考えなければいけません。
当時の人たちが大切にしたのは、東西南北の方角です。まず、太陽が登る東に一本の杭を立てます。次に、そこから真逆の方向に二本目の杭を立てて、縄で結ぶと、これが東西を結ぶ線(これを「経」といいます)になります。さらに、そこに交差するように南北方向の縄(これを「緯」といいます)を張ることで、四方の方角が定まります。つまり、経営の「経」の語源は、方角を表す経緯の「経」だったのです。
さらに、一見平らに見える土地も、凸凹があって、雨が降ると家の中に流れ入ってくることがありますから、家の周囲に溝を掘る必要があります。この側溝を設ることを「営」と呼びました。
このようなことから「経営」とは、「荒野を整え、家や畑を作る」という本来の意味が転じて、「仕事をうまく処理すること」となったのです。
つまり、その語源を踏まえるならば、「経営」とは単に企業活動を指すだけでなく、日々の暮らしを築くための総合的な営みと言っても過言ではありません。
このような視点から見ると、経営とは企業家だけの特別なものではなく、私たちの生活の延長線上にあると考えられます。たとえば、家計管理も経営の一部です。米の価格が高ければうどんやパンで代用するなど、日常の判断が積み重なって経営は成り立っているのです。
その意味において、経営学という学問は理論が先行するのではなく、企業経営という実際の現象があってはじめて成り立ちます。単なる理論の探求ではなく、現実の企業活動から学び、実践につなげることが求められているのです。
企業とは利潤を追求する「経済主体」であると同時に、そのために経営行動を行う「経営主体」でもあります。“社会の公器”とも呼びうる企業が広く社会に寄与し、豊かで、健全な経済社会の構築に貢献できるように、私は今後も「経営物理」の解明を研究テーマとして探求していきたいと考えています。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
