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2016.10.19

スポーツビジネスの功罪を考えると、社会の未来が見える

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スポーツは社会を映す鏡

釜崎 太 メディアが大々的にスポーツを取上げることで、スポーツの好感度はさらに高まり、ビジネスチャンスを広げます。この循環によって、スポーツとメディアとビジネスはますます結びつきを強くしていきます。こうしてビジネスとしてのスポーツが盛り上がれば盛り上がるほど、「メディアで報道されること」しか見えなくなりがちです。それは、ドーピングや審判の問題にもあらわれています。例えば、ドーピングによってメダルを剥奪されたり、後遺症に苦しんだ選手の例は、よく知られています。テレビに映し出された誤審が許しがたいものであることも、周知の事実です。

 しかし、ドーピングや審判の問題がさらに複雑になっているのは、科学の進歩によって、これまでとは性質の異なる問題が生じているからなのです。例えば、遺伝子工学によって設計された眼球を射撃選手が使用した場合、身体に害が出ることはありません。クローニング技術の進歩は、金メダリストの子どもをスーパークローンとして創ることを可能にしています。さらに、ある人工知能の研究者は、スポーツの審判を20年以内になくなる職業に位置づけています。スポーツのビジネス化が進み、より多くの儲けをスポーツが生み出すようになれば、スーパークローンによる大会や人工知能による機械の審判を全スタジアムに配備することも可能になるでしょう。私たちは、こうしたテクノロジーをどこまで受入れることを望むのでしょうか。身体に害のないドーピングなら良いのか、ルールに厳格な機械に裁かれる試合を観て感情移入できるのか(逆に審判の「わざ」は消滅します)。こうしたテクノロジーをスポーツに受入れるか否かは、人間社会がこれらのテクノロジーをどこまで受入れることを望むのかに関わってくるのです。公的領域と私的領域の関係など、私たちの社会がすでに直面している問題だけでなく、科学技術の進歩や人工知能の開発など、私たちの社会がこれから直面するであろう問題をも、スポーツは映し出しています。その意味で、スポーツを考えることは、私たちの社会そのものを考えることに通じるのです。

 スポーツはメディアによって多くの注目を集めるようになり、ビジネスと手を組むことで大きく発展しつつあります。スポーツの可能性はこれからも限りなく広がっていくでしょう。しかし、メディアがすくい上げない部分にも、あるいはビジネスの力が及ばない部分にも、スポーツの可能性は潜んでいるし、スポーツが抱える様々な問題は、そのまま私たち社会の問題でもあるのです。

 メディアが報道するメダルの数に一喜一憂したり、サッカー選手の移籍金に感嘆するだけでなく、自分たちの生活を豊かにしてくれるスポーツの身近な環境について考えたり、スポーツ界が抱える問題を自分たちの社会の問題として考えてみることも、とても大切なことなのです。

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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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