
2008年のリーマンショック、2011年の欧州債務危機、近年ではフランスの財政問題など、国家レベルの金融・債務問題は周期的に生じています。金融・債務をめぐる危機は、「借りたものは返さなければならない」という、一見当たり前の約束事が通用しなくなる「モラル」の危機でもあります。しかしそれは、なぜ当たり前のモラルとして受け容れられているのでしょうか。そもそも負債とは、人間にとって何なのでしょう。究明の手がかりとなるのが、「負債は経済的現象であると同時に、恩や義務といった社会的現象でもある」という、文化人類学の着想です。
明らかな不正義・不平等が“なんとなく” 受け容れられている事態こそが恐怖
1980年代末から90年代初頭にかけて冷戦が終わり、市場経済がグローバリゼーションに向かって一気に突き進んでいく浮かれた時代が訪れました。その歪みから行き着いた先が、世界中を巻き込む金融不安でした。
米投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻に前後して、アメリカ政府はTARP(不良資産買い取りプログラム)といった公的な財政支援により、大手銀行や自動車産業などを積極的に保護しました。しかし住宅購入用途向けサブプライムローンの不良債権化の煽りを受けた一般の人々は十分に救済されないばかりか、金融を安定化させるために個人のための社会保障はどんどん削られていきました。政治家、官僚、金融エリートなど、金融・財政には手厚い支援がなされる一方、危機に巻き込まれた一般人は、債務返済を強要されたり、社会保障を削減されたりすることで、生命さえ脅かされていたのです。
欧州債務危機の際にも、「ギリシャ人は働かない怠け者だからどうしようもない」といったことが散々言われていましたが、国際機関が救おうとしていたのはギリシャの人たちではなく、ギリシャの負債を抱え込んだ欧州各国や金融機関でした。つまり、社会保障の削減や最低賃金の引き下げにより、欧州各国の財政を支援しようとしたのです。これは、多くの一般市民に負担を強いるものであり、非常にわかりやすい不正義・不平等だったといえるでしょう。
何より恐ろしいのは、これだけの不正義・不平等が“なんとなく”受け容れられているという事態です。それはなぜなのか。非常に説得的な議論を展開してくれたのが、アメリカの人類学者、デヴィッド・グレーバーです。
グレーバーがまず研究対象としていたのはアフリカでした。1960年前後におおくが独立を遂げたアフリカ諸国は、1970年代まで借金をしながら国民国家の建設を進めていたのですが、借金の担保にしていた資源価格が80年代に暴落します。それを受けてIMF(国際通貨基金)や世界銀行が援助に乗り出し、借金を負担する代わりに今まで国営企業だったものを潰して公務員を減らし、社会保障を削っていくという、その後、世界中で行われる自由化政策が、先んじて行われました。グレーバーが調査をしていたマダガスカルでも、そうした構造調整政策の結果、たとえばマラリア対策の資金がカットされ、結果、大量の人が命を落としていったのです。
アフリカに資金を貸していたのは、オイルショック後に生まれた巨額のオイルマネーを運用して儲けようとしていた欧米の金融機関でした。当時は欧州経済が停滞しており、有望な貸付先が不足していたため、第三世界の途上国への投資が拡大していったのです。しかしその後、多くの国が債務返済に行き詰まり、結果として一般市民が苦しむことになりました。
グレーバーの問題意識を象徴するエピソードがあります。彼が第三世界の債務問題についてある弁護士に説明した際、弁護士は「でも借りたお金は返さないといけませんよね」と応じました。グレーバーは、その当然視されている前提そのものに疑問を抱いたのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
