トランスジェンダーの法的性別変更にも関係する夫婦別姓訴訟
特例法では、性別変更のための2つめの要件として、婚姻していないことを求めています。この要件をなくすと、日本で認められていない同性婚が成立してしまうからといわれています。このように、トランスジェンダーの性別変更と同性婚の問題は、「婚姻」や「家族」という部分で重なっているのです。
この問題に関連する判例として、夫婦別姓が認められていないことについての最高裁の2015年の合憲判決が大切です。この判決において、最高裁は、婚姻の自由や家族について定めた憲法24条1項及び2項の意味について、初めて詳しい解釈を述べました。
最高裁は、まず、24条1項にいう婚姻の自由とは、制度を前提としたものであって個人の権利ではなく、その立法化や内容は第1次的には国会の裁量にまかされるとしました。注目すべきは、これに続く部分で、同条2項は、家族や婚姻に関する法律は、個人の尊厳と両性の平等とに立脚すべきであるとする「要請・指針」を示しており、これが国会の裁量の限界を画しているとしたことです。
この「要請・指針」の内容ですが、1つめとして、憲法上の明確な権利だけではなく、権利とまでは言えない人格的利益も尊重しなさいとしています。ここでいう人格的利益の中には、先ほどあげたトランスジェンダーの人の自己同一性といったものも入ります。最高裁が人格的利益を明言したことは重要です。
2つめは、両性の実質的平等が保たれるように図りなさいということで、3つめは、婚姻制度の内容により、婚姻すること自体が事実上不当に制約されることがないようにしなさいということをあげています。トランスジェンダーの人にとって、婚姻している限りは性別変更ができないとするのは、婚姻と性別変更を天秤にかけるようなことになり、事実上婚姻の自由の不当な制約にあたると言えるでしょう。特例法は、直接には婚姻に関する法とはいえないところがありますが、最高裁は本当によく言ってくれたと思います。
他方、この判決には限界があります。最高裁は、あくまで、婚姻や家族における「両性」の個人の尊重、平等を問題としています。婚姻の自由が、両性、つまり男性と女性の自由に留まらず、性別にかかわらない両当事者の自由であるとしなければ、同性婚の問題の本質的解決にはつながりませんし、トランスジェンダーの法的性別変更の非婚要件という制約もなくなりません。前進してはいるものの、まだまだ道半ばという状況です。
夫婦別姓訴訟の判決で示された最高裁の考えでは、婚姻の自由は婚姻制度における自由だという捉え方をしています。つまり権利ではなく、制度上の自由なわけです。結婚は幸せになるために必要な権利だと考えれば、権利の方に制度を合わせなければおかしいでしょう。権利優先ではなく制度優先とする考え方について、さまざまな方面から批判されています。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。