イスラーム教は、非常に多様性に富んだ普遍宗教
では、本当のイスラーム教とはどのような宗教なのかといえば、実は、一言で説明するのはとても難しいのです。教科書的な説明をすると、ユダヤ教、キリスト教と同じ神の宗教で、この3者は兄弟のような存在です。その中でイスラーム教の大きな特徴のひとつは、これが正当な教義だという最終権威が人間の世界にないことです。時代によってはカリフがいたり、強力な指導者が現れ、教徒たちを導きましたが、カリフ制度は1920年代にはなくなり、強力な指導者も最近では現れなくなっています。現代では、イスラーム法の専門家たちがイスラーム法に基づく解釈や意見を表明しますが、それを取り入れるかどうかは個人の問題です。キリスト教のカトリックの教皇のような存在はなく、イスラーム教徒はコーランなどの聖典で示された指針に基づいて生きる、ということが基本です。神のもとでは誰もが等しく、生まれやお金ではなくその行動によって人としての真価が判断されるというのです。
また、歴史上、イスラームの帝国は、西はヨーロッパ大陸のイベリア半島から、東は中国の一部まで統治した時代がありました。これほどの広大な地域を支配したのは、いわゆるジハードによって敵対する宗教や勢力を退け、イスラーム教を強要していったからのように思われがちですが、実は、イスラーム教は信仰を強要しません。これは、コーランにも書かれている基本的なことです。実際、最大の版図を誇ったアッバース朝でも、領内にユダヤ教徒もいれば、キリスト教徒も仏教徒もいました。
では、なぜ、イスラーム教は世界中に広まったのか。ひとつは、前述の通り、神のもとでは誰もが等しいという考え方と、さらに、厳格な教義などに縛られないフレキシブルさが受け入れられていったからだと思います。実際、イスラーム法学者たちは「イスラーム法に反していなければ認める」という非常に柔軟な考え方を示しています。つまり、コーランの教えに基づいて生きるといっても、その教えの解釈は人によって様々になってきます。イスラーム教というと、神を信じ、戒律を守って生きている人という、画一的なイメージをもっている人が多いと思いますが、そのような信者たちがいる一方で、モスクに滅多に行かない人もいます。実際、世界中に広がるイスラーム教徒のライフスタイルは、地域などによって本当に様々です。非常に多様性に富んでいて、ある意味、つかみどころがなく、それだけに普遍宗教なのが、イスラーム教なのです。
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