個人の記憶を組織の記憶にすることが重要
企業の調査、研究を行っていると、「誰が何を知っているかを知っている」ことの大切さを感じることがあります。これは、トランザクティブ・メモリーと言われます。こうした記憶が、過去の失敗をイノベーションへとつなぐ役割を果たすのです。
イノベーションは、先ほど言ったように、新しい組み合わせから生まれます。そのため、イノベーションを生み出す過程で失敗はつきものです。なので、よく言われるのは、失敗やリスクを許容する文化を醸成することが大事だということです。しかし、それだけでは表面的な理解に留まってしまいます。そうした文化が具体的にどうイノベーションに寄与するかを、もう少し細かく理解する必要があります。
先ほどの話のように、とにかく多くの組み合わせを試すことが、イノベーションを生み出すひとつの鍵になります。その点からすれば、失敗をおそれず次々チャレンジをするという姿勢やそれを支える文化は、たしかに重要な役割を果たします。しかし、「これはダメか、じゃあ次はこれだ」というのでは、ギャンブルのようなもので、イノベーションを生み出す組織のシステムとしては脆弱です。
少しでも組織として成功確率をあげるには、失敗を次につなげる仕組みを作ることがひとつあると思います。そのためにはまず、失敗したものをそのままにしておく、あるいは個人の記憶に留めておくのではなく、組織の記憶として保存していくことが求められます。そうした取り組みとしては、失敗した原因まで分析してレポートとしてまとめ、ミーティングで報告したり、データベース化して共有したりすることなどが挙げられます。失敗した当事者には心理的抵抗が伴うものですが、そこは失敗を許容する文化がカバーしてくれるでしょう。
失敗を活かす仕組みを作るには、さらに一歩進んで、必要な時に必要な記憶を取り出せるようにしておくことも大切です。AIの進歩が著しいですが、適切な記憶を取り出すという点では、まだデータベースより、人の記憶に頼る方が効率的な気がします。ここで、さきほどのトランザクティブ・メモリーが重要になります。つまり、「あれ、これに近いことあの人が前にやっていたよね。話聞きに行こう」というのをきっかけにして、過去の失敗が現在の問題に活用され、イノベーションへと結実していくのです。
最近調査していた企業では、そのような経緯で実現したイノベーションの例がいくつかありました。その企業では、失敗を許容する文化がもちろんあるのですが、失敗に関する情報を共有する機会や仕組みが社内に多く設けられているため、同じ部門の人間同士のみならず、部門を越えて、「誰が何を知っているのか、やってきたのか」を皆が把握しています。それが、過去の技術や市場での失敗の記憶をうまく「蘇らせ」、イノベーションの実現へ寄与しているのです。
「日本という文化がミスや失敗に厳しい」ということを耳にします。そういう方々は、「だから、失敗を許容する文化を日本企業に根付かせるのは無理だ」と考えているかもしれません。しかし、われわれが調査したのは日本企業です。日本企業にも、失敗を許容する文化は十分に根付くのです。そうした文化が根付かないのは、国の文化や国民性の問題ではなく、組織の問題なのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。