漆の研究でコーヒーを科学する。異色の共同研究から考える、これからのものづくり <後編>

株式会社サザコーヒー 鈴木太郎 代表取締役社長(右)
明治大学 理工学部 応用化学科 本多貴之 准教授(左)
コーヒーの香りの分析から始まった、SAZA COFFEE(サザコーヒー)・鈴木太郎代表取締役社長と明治大学 理工学部 応用化学科・本多貴之准教授との共同研究。その内容を中心に、前編の対談では美味しいコーヒーづくりについて語り合いました。後編では、本多准教授の研究テーマでもある漆工芸の話題にも発展。サザコーヒーの1杯取りコーヒー「サザカップオン」を開封したところから、会話が弾んでいきました。
どちらが1年前のものか3年前のものかは、プロでもわからない
本多:3年前のものは、ちょっとだけ香りが薄いですね。
鈴木:そうですね。でもくさい感じではない。
本多:いい香りですし、悪くもなっていません。……、新しいものを開けると、やっぱり香りが強いです。
鈴木:フィルム内の密度が上がるなど、パッケージの状態も良くなっているので、より違いがあるかもしれません。データを取れていないので感覚でしかありませんが、どうも焼いて袋詰めしてからすぐに匂い成分が出てくるものではないようで…。そもそもコーヒー豆は焼きたてが美味しいかというと、そうでもありませんし。
本多:確かに、封入前の時点で香りを測っても、そんなに高い数値は出ませんでした。それよりも封を切ってガラス瓶に移してからのほうが、データ上は香りが強いかなという気がします。とはいえ、これはまだサンプルが少ないので「気がします」程度なんですが。
鈴木:ただ、ひとたび開封してしまうと、体感では90分くらいで香りがなくなっていきます。
本多:封を切って放置しておくと、だんだん匂いが薄くなっていきますが、お湯をかけるとちゃんと香りが出てくるんですよね。そのあたり、まだまだ研究の余地があると思っています。この3年前のコーヒーも、お湯を注ぐと香りも立ちますし、飲んでみてもわからないですね。
鈴木:満足度は担保されていると思います。どちらが1年前のものなのか、プロでもわからないという人が圧倒的に多い気がしますね。産地も焙煎もだいたい同じですし…。生豆も3年くらいはもつんです。ただ、最高の生豆でも1年置いてしまうと、翌年に採れたいいもののほうが明らかに美味しくて、3年経ってしまうと、その次の年に採れたそこそこのものにさえ負けてしまう。だから一番ポテンシャルが高いときに豆を焼いて袋詰めをしたほうが、美味しさは長持ちするんです。そのうえで袋詰めを徹底すれば、10年もつのではないかと考えています。
時間を味方につけるワインのように、コーヒーの可能性を探っていきたい
本多:コーヒーは時間が経つと酸化して劣化してしまいます。豆であれば寝かせることで、逆に旨みが増すといった可能性はないのでしょうか。
鈴木:僕の見立てですと、コーヒーもおそらくワインと同じく、尖っているところがなくなって、まろやかになっていきます。それが美味しさにつながるかどうか、今、いろんなコーヒーで試しているところです。
本多:これまでとは違う視点ですよね。
本多:焙煎したてのものとで比較して、どこが変わったのか…、人間が感じる「美味しい」「美味しくない」の指標まで見つけられると面白いですよね。
鈴木:品種や産地や収穫時期や焙煎方法などなど、無限に組み合わせがありますからね。先生と一緒に無限のウマさを追求したいです(笑)。
本多:だんだんコーヒーの概念から外れていきそうでもありますが…(笑)。
鈴木:それでもいいんですよ。ワインのように幅広く、美味しいコーヒーの可能性を探っていきたいじゃないですか。とてもいい豆をつくったときに、「コーヒー農家で良かった!」と思える人がたくさん増えればうれしいですしね。
本多:ワインの場合は、ブドウの採れた年によっても大きく差が出ますし、パラメーターとしても年月が大きいと思います。コーヒー豆にもいろんな評価軸があれば発展にもつながるでしょうし、さらに飲み手の好みの傾向も多様化すれば、より文化が広がっていくかもしれませんね。
美味しかったものを再現するにはサイエンスが必要
本多:一番美味しく焙煎できたときのコーヒー豆を分析して、「この成分がよく出ている」ということを明らかにできればいいですね。さらにその成分が、どのタイミングで熱をかけて起こった化学変化によるものかという点まで解明できれば最高だと思います。
鈴木:美味しかったものを再現するにはサイエンスが必要なんです。ラッキーなまぐれ当たりパンチを永遠のものにするために(笑)。確実にもう一回同じものを再現できるところに、重要な価値があると思います。
本多:安価なコーヒー豆でも、こういう処理を施すと高価なこの豆の味に近くなる、といったことも…本当はしない方がいいんでしょうけども(笑)。
鈴木:いえ、価値が高くなるのであればいいと思うんです。材料は限られています。だから価値を高めるためにサイエンスは存在する。さらにいうと、誰が淹れても価値の高いものになればもっといいし、それを実現するのもサイエンスです。サイエンスは食も含め、暮らしを豊かにしてくれる重要なものです。
本多:今は何につけてもバックグラウンドが重要になってきていますからね。昔なら「なんとなく美味しい」「なんとなく良い」で充分だったのが、「この成分があるから美味しい」と言わなければ納得してくれない消費者の方が増えています。そういうところを私たちがサイエンスでアシストできるのかなと。
鈴木:実際に味がわからなくても、「こういうことをするから美味しい」という話で喜ばれる方もいらっしゃいますからね。再現性があればみなさんが幸せになれるといいますか。
本多:先日、伺った話なんですが、桐は板にしたあと、天日にさらして中のアクを抜くらしいんです。だけど置きっぱなしだと片側にアクがたまってしまい、きれいな板にならないので、定期的に引っくり返す作業を3年も続けるそうなのです。それをやった板とやっていない板を並べると、誰もがわかるくらい質感が違ってくる。ゲイシャも他のコーヒーと飲み比べれば、誰もが気づくぐらい味も香りも違います。それに対し「両者はここが違う」と科学的にも説明ができるようになれば腑に落ちる人が増えるでしょうし、価値もさらに高まるはず。ぜひ明らかにしていきたいですね。
劣化を抑え、フードロスも大きく減らしていくことも目標
本多:コーヒー豆は、焙煎後に寝かせる余地があるかもしれませんが、挽いてしまったら悪くなる一方なので、それをどうしたら抑えられるかも課題ですよね。ダメになったという判断も科学的に根拠づけして、「ここまでになったら廃棄」というパラメーターが見つかれば…。なおかつ豆の劣化を抑えられるようになれば、フードロスも大きく減らすことができそうです。
鈴木:フードロスは極力、減らしたいんですよね。僕自身も消費者ですし、買ったものはなるべく無駄にしたくない。賞味期限を気にせず、10年経とうが20年経とうが美味しく淹れられたら理想ですし、いつでもどこでも美味しいコーヒーが飲めれば最高なわけです。お店で飲む分には、常に割と新鮮な状態でいただけますけど、家で買い置きしたものを飲む場合、そうもいかないときがある。そのため時間が経ってもフレッシュさが長続きしないものかと、焙煎の手法も含めて考えています。
本多:廃棄せずに済むのが何よりですもんね。そういえば、抽出後のコーヒー豆の粉は、何かに使われているのでしょうか。
鈴木:とても栄養価が高いので、農業で肥料として使うといいことはわかっています。ただ、そのまま与えると強すぎて、作物を枯らしてしまうため、薄めないといけません。水田などでは一度発酵させてから与えると、米の育ちがとても良くなるそうです。ネギやイモにもいいと、農家の方から聞きました。過去に僕もいろいろしましたが、結構いろんな植物を枯らしています。僕は農学部を出ているのですが(苦笑)。
本多:でもそれくらい栄養価が高いんですね。
鈴木:SDGsの話で言うと、先生がご専門の漆も環境に良さそうですけど。
本多:木は成長しすぎるとCO2を吸わなくなるので、ある程度で切ったほうが光合成の効率はいいんです。木材のなかでも漆の木は、育て始めてから15~20年で漆を採り終えて伐採しますので、サイクルとしては比較的早い。なおかつ今も一生懸命、植樹をして増やしていますので、CO2の削減に貢献しており環境にも優しいです。
AIを使う人とAIを更新できる職人の両輪で、文化を継承していければ
鈴木:「老舗」と呼ばれる条件は、長く続いている古い店というだけでは不十分で、繁盛していることも必要なようです。逆に商売が替わっても、屋号が続いて繁盛していれば老舗だと。形が変わっても求められれば守れると思うので、漆には老舗であってほしいです。
本多:私が漆の研究を始めた2002年の頃には、「もう漆に将来ないぞ」、「10年先にはなくなるぞ」と言われたのですが、いろんな施策が打たれたこともあり、なんとか生産力を持ち直してきました。とはいえ技術をつないでいくには、いいものだと知らせて使う人を増やすことも重要です。
鈴木:漆のベッドやテーブル、椅子など、今までにない普段使いできるものが簡単につくれるようになれば、状況も変わってくるかと思うのですが。素材として漆は結構良さそうじゃないですか。
本多:環境に優しいですし、肌触りもいいですしね。
鈴木:いっそのこと、漆の工芸品を3Dプリンタでつくるのはどうなのでしょうか?
本多:どうなんでしょう。ベースを紙でつくってその上に漆を貼っていくという技法はありますので、3Dプリンタで骨格をつくるのは可能でしょうが…。
鈴木:コーヒー業界ではバリスタやロースター(焙煎士)がデジタル化されていなくなると言われているんです。機械に焙煎させたほうがデータの蓄積ができて、最終的には人間が淹れるより美味しくなるだろうと。
本多:そうはいっても、漆もそうですが、コーヒーも毎年同じものが採れるわけではありませんよね。そのクオリティコントロールは人間だからこそできるのではないでしょうか。
鈴木:データが貯まれば、それも変わる可能性があります。でも、そのビッグデータが足りないんですよね…。あと今後の職人さんの在り方という意味では、デジタルデータの調整役というのがあるのかもしれません。コーヒーの場合、デジタル化が進んでも、オペレーターとしてバリスタが残るだろうと考えています。
本多:職人さんの手仕事は手仕事で、機械でカバーできるところは機械で、人とデジタルがすみ分けをして効率化をはかるという道もありそうです。とはいえ、これからAIを使う人はどんどん増えていくでしょうが、私としては使う人とともに、元となる技術をつくり、更新していく人も大切に育てていくべきだと思います。使う人とつくる人、これらはあくまで両輪であるべきです。
鈴木:すごい勢いで技術は発展していきますから、未来を夢見て動いていかないと、ですね。先生、これからもコーヒーの未来を描きながら、一緒に共同研究を進めていきましょう。
鈴木太郎
株式会社サザコーヒー 代表取締役社長。コーヒー研究家。修士(農学)。日本スペシャルティコーヒー協会理事。2008年にコロンビアで自社農園を開き、2011年からゲイシャ品種の栽培に着手。2020年より筑波大学大学院の農産食品加工研究室で焙煎コーヒー豆の品質について研究している。
本多貴之
明治大学 理工学部 応用化学科 准教授。博士(工学)。天然物化学研究室 主宰。専攻分野は、高分子化学、天然物分析、文化財分析、有機物劣化解析、天然物合成など。研究テーマは、微量天然有機物試料の分析。微量試料を利用した天然有機物の解析を主に行っている。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。