中山間地域を軽視することは日本社会にとって良いことか?
このように、ガット・ウルグアイラウンドによって中山間地域の農業が衰退する危機感が高まり、講じられた支援策は、この地域の農業生産を守るだけでなく、農業の多面的機能を重視して農地の維持を目指し、そのために集落の活性化を図ってきたものであることがわかります。
ところが、2022年、こうした動きに逆行するような事態が生じます。農林水産省が、5年ごとに行ってきた農林業センサスの一環である「農業集落調査」の廃止を提起したのです。
センサスとは全数調査を意味し、農業集落調査は、農業集落のすべてを調査することを指します。
その目的は、農林水産省自身が表明しているように、我が国の農林業の生産構造や就業構造、農山村地域における土地資源など農林業・農山村の基本構造の実態とその変化を明らかにし、農林業施策の企画・立案・推進のための基礎資料となる統計を作成し、提供することです。
つまり、日本の農業政策、農村政策の起点となる重要な調査なのです。
この調査で重要なのは、農業を営む農家や農業法人のすべてを対象とする農林業経営体調査と、農業集落のすべてを調査する農業集落調査をセットにしていることです。それによって、日本の農業の姿を明らかにすることができるわけです。
つまり、その一方が欠けては、農業、農村の全体像が把握できなくなることになります。当然、農林水産省の提起に対して反対の意見が上がり、大きな議論となりました。
農林水産省は、なぜ、廃止すると言うのか。その主な理由は、個人情報保護を理由に、市町村が各集落の自治会長の名簿などの提供を拒むケースが相次ぎ、調査対象者の情報が得られなくなっていること。
そうした地域に関しては、調査を担当する地方農政局の職員が直接その地域に足を運んで調査を行ったため、そもそも職員数が減少しているなかでは負担が大きいこと、が挙げられています。
確かに、個人情報保護などはデリケートな問題です。しかし、この調査の趣旨をきちんと説明すれば、納得が得られないものではないと考えられます。
この調査は農業政策、農村政策を立案するためのものであり、それが推進されれば、農業集落にとっても市町村にとってもメリットになるはずです。
また、職員の負担問題は調査方法の問題であり、そこは様々に工夫ができるはずです。結局、今回は民間委託の要素を増やすことで、調査を行うことになりました。
むしろ、気になるのは、1980年代には中山間地域の農業の衰退に非常に危機感をもっていたのに対して、今日では、生産コストの高い条件不利地域は、もう撤退させ、生産効率の良い地域での大規模農業経営に注力しようという意識が高まっているのではないか、ということです。
確かに、農業・農村政策は、「産業政策」と「地域政策」が両輪と言われ、生産性も政策の重要なポイントではあります。しかし、両輪であればこそ、そのバランスを保つことも重要でしょう。
1980年代に議論された中山間地域農業の重要性の議論を思い返してほしいと思います。そこに田畑があることによって洪水や土砂崩れを防いだり、集落があることによって獣害を最小限度に抑えているのです。
近年、都市部でも川の氾濫が起きたり、野生動物が出没するのはなぜでしょう。
また、都会暮らしの人も、里山などに安らぎを求めて出かけるのはなぜでしょう。
山間奥地の集落がなくなれば、そこは自然に還るだけだという人もいますが、それは、人を寄せつけない厳しい自然になるかもしれません。そうなれば、周囲に広大広がる森林資源などの活用も難しくなるのです。
都会に暮らす皆さんも、できれば、田舎で農業体験をしてほしいと思います。農業を体験すると食に対する意識が変わりますし、なにより、田舎暮らしが意外と楽しいこともわかると思います。
すると、農村地域を軽視することが、実は、都会で暮らす人たちにとっても関わりのある問題であることが、感じられてくるのではないかと思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。