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子育ては「投資」でも「課金」でもなく「お返し」である
2026.05.20

研究の裏話子育ては「投資」でも「課金」でもなく「お返し」である

リレーコラム
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教授陣によるリレーコラム/研究の裏話【9】

文化人類学の講義において、「負債は経済的現象であると同時に、恩や義務といった社会的現象でもある」という話をすると、親から受けた「恩」に思い至る学生が多くいます。彼らはよく「いつか恩返しをしなければならない」と口にします。でも本当にそうなのでしょうか。一生かけても返しきれない社会的負債を負っているのは、むしろ親の方ではないでしょうか。

もともと負債は人間関係に基づいた現象であるという説明として、家族のような身近な人には何かをもらったり、してもらったりしてもお金を払う必要がないことを例に挙げると、学生たちは納得してくれると同時に、社会に出たら初任給でプレゼントをしたいといった健気な発言をしてくれます。それは大変美しくていいことだとは思いますが、知らず知らずのうちに「自分は親に対して負債を負っている」という感覚を皆が抱えてしまっているようです。

しかし親の立場になると、まったく逆だということに気づかされます。私自身、自分のパートナーが妊娠して出産するまでのプロセスを目の当たりにし、子どもは奇跡の連続で生まれてくるのであって、誕生が当たり前のことではないのだと実感しました。もちろん授かりたいのに授かれないことだってあります。生まれてくれたこと自体が奇跡のような「恩恵」であり、子育ては「投資」でも「課金」でもなく、親から子への「お返し」なのではないかと感じるようになりました。言い換えるなら、親にとっては子供が存在してくれること自体が「贈与」であり、親は子育てを通じてこの初発の「贈与」に応答しているにすぎないということです。

また子育てをするなかで、子どもという目の前の存在と向き合ったとき、机上で学んだことや理屈で考えたことが腑に落ちる機会を、とても多く得られるようになりました。普段の社会生活では、自分の働きかけが相手にどう届いているのかを実感する機会は、そう多くありません。しかし子どもからは、ダイレクトに反響が返ってきます。大きなシステムの一端になるのではなく、目の前にいるこの人に自分を受け止めてもらえるのが、どれほど楽しく愉快なことなのか。功名心などが馬鹿馬鹿しくなるほどに、この関係性がいかに大事なものなのかを身をもって感じています。

私の前職は研究所勤務で、そこでは教育の義務はありませんでした。研究者にとっては非常に魅力的な職場環境でしたが、子どもを授かった現在、教育に取り組む価値ややりがいを強く感じています。教育に携わるようになり、自分が教えているようでいて、実は学生から教わることがかくも多いものかと、驚くばかりです。

そうした経験を重ねるなかで、学生たちには、その感謝の念を忘れないようにすると同時に、君たちは親に恩返しをする以前に、とてつもないものを与えているのだ、ということを伝えるようにしています。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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