「インダストリー4.0」によって疎外される労働者
前回述べたように、「インダストリー4.0」は製造業の効率性や、消費者の利便性を著しく高めます。それは光の面ですが、一方で、「疎外される人間」が想定されるという陰の面があります。
「疎外される人間」とは、まず、われわれ労働者です。過去の産業革命でも、効率性や利便性の向上の背景には人がいて、仕事を失うとか、大きな変化への対応を余儀なくされるということがありました。
疎外とは、自分の立ち位置がおかしいと認識することなしに支配されることです。つまり、この大きな変化に飲み込まれた状態こそが疎外なのです。
しかし、歴史はまた、人が変革によって失ったものを取り返し、人の優位を取り戻すような動きを起こしています。
実は、そうした動きが「インダストリー4.0」においてもあるのではないかと思います。
もちろん、なくなる既存の仕事がある一方で、新たな仕事が発生することは、やはり、歴史が証明しています。
でも、例えば、「インダストリー4.0」が機能するためには、その中枢にAIのような仕組みが必要です。それによって、膨大なビッグデータは瞬時に解析され、製造の現場の効率的、合理的な稼働が可能となります。
その効率性、合理性を突き詰めれば、工場は自動操業になるかもしれません。すると、モノづくりという労働に対する価値観も変わってくるかもしれません。
そのとき、人は、それにどう対峙すれば良いのか。働くということに変わる価値観をもたなくてはならなくなるかもしれません。
あるいは、やはり、人の優位を取り戻すような動きが起こるのかもしれません。
実は、2011年に「インダストリー4.0」の推進を決定したドイツは、その3年後に「アルバイト4.0」を打ち出します。ドイツ語のアルバイト(Arbeit)とは「労働」の意味で、すなわち、「労働4.0」とは,労働改革のことです。
その肝は、人には生涯労働時間があり、それは一定の時間を積み重ねていくことではなく、人生の様々なイベント、子育てとか、自身の病気とか、親の介護とか、そうした状況によって、働き方も、働く時間も柔軟に変えていこうという社会政策的な試みが行われています。
つまり、人の生き方はAIや機械に依存するものではなく、自分の都合によって選択できるものであり、AIや機械はそれを社会的にサポートするものだという考え方なのです。
この「労働4.0」が「インダストリー4.0」の直後に打ち出されたことは、産業ばかりを推進しても社会は良くなっていかない、労働環境をともに改善していくことが必要だということを、ドイツの人たちはしっかりと把握しているということだと思います。
それは、また、産業革命によって失われたものを取り返し、人の優位を取り戻すということなのではないかと思います。
次回は、さらに「インダストリー4.0」に疎外される人たちについて解説します。
#1 「インダストリー4.0」とは?
#2 「インダストリー4.0」でなにが変わるの?
#3 「インダストリー4.0」によって疎外される人たちがいる?
#4 「インダストリー4.0」をより良い革命にするには?
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。