2024.03.21
悲愴をユーモアに変容する哲学を始めよう
合田 正人 明治大学 文学部長 教授いま、哲学が注目されているといいます。急激に発展するAIやITの技術によって社会が変革され、一方で心理学や社会学が注目されてきた中、なぜ、いま哲学なのか。それは、既存の土台に対する不安や懐疑を払拭するための考え方が求められているからでしょう。
哲学には、フッと息を抜くアプローチもある
哲学というと、真理の探究とか、生き方の根源を問うような学問というイメージを抱いている人が多いと思います。確かに、そうした側面はありますし、それは大事なことでもあります。しかし、哲学とは、それだけではないと私は思っています。例えば、いま、多くの人が様々なことに不満や疑問をもっていると思います。なぜ、毎朝満員電車に乗って会社に行かなければならないのだろう、なぜ、物事は計算した通りに進まないのだろう、なぜ、自分のやることは上手くいかないのだろう、と。その原因や打開する術を深く考え、追求することも必要ですが、そのとき、フッと息を抜くこと、別様に考えてみることも、とても大事だと考えるのです。そのとき、別様に考えてみることは、ある種の楽しみ、ユーモアであって、圧し潰されて窒息しそうな現状から、軽くなることができます。根源的に問うて考え抜く正面突破だけでなく、ある意味、そこからフッと身をかわすこと。それも哲学のひとつのあり方だと、私は思っています。
こうした別様の考え方をすることは、アブダクションなどと呼ばれることもありますが、実は、科学の歴史的な発見の多くが、そういう瞬間に起きていることが知られています。私たちも日常で、答えが見つからずに悩んでいるとき、例えば、コーヒーブレイクのとき、お風呂に入っているときなど、フッと息を抜いたときに、新しいアイデアが浮かぶ経験をした人も多いのではないでしょうか。それは、発想のちょっとした転換によってもたらされるのです。