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暮らしに耳を傾ける そこからコミュニケーションは始まる

高瀬 智子 高瀬 智子 明治大学 農学部 准教授

暮らしに耳を傾ける そこからコミュニケーションは始まる

異なるスタンダードと出会う喜び

 《Bonjour!》フランス語を知らずとも、誰もが耳にしたことのある言葉だろう。辞書で「こんにちは」と訳されるこの表現、使われ方は同じではない。日本では「知り合い」に向けて使うのがスタンダードだが、フランスでは例えば列車の切符を買う窓口やスーパーマーケットのレジで出会う「知らない人々」にも《Bonjour!》と話しかける。これを欠くと礼を失するため、相手の対応も素っ気ないものともなる。フランスを旅した日本人が時折フランス人に対して抱く「冷たい人々」という印象は、この小さな表現が「暮らし」の中でどう息づいているかに気づかない時に起こる一つの誤解ともいえよう。「みんな違ってみんないい…」所変わればスタンダードも異なると前提し、一つの言葉が人々の暮らしの中で生きていることに気づく時、コミュニケーションの扉は開かれていく。異なるからこそ共通点を見出す喜びが生まれる。

歴史資料の香りの向こうに

 私たちの生活とは一見何のつながりもないように見える外国の歴史的資料を紐解くうちに、時空の隔てが消え去り、過去の人々がすぐ隣りで語りだすような地平にたどりつくことがある。例えば、何百年も前に描かれた絵画を見た時になぜかとても身近な風景を見ているような気持ちになったり、何世紀も前の物語や音楽に涙することが誰にでもあるように、歴史的研究も、それと似たような不思議な出会いをもたらしてくれることがある。

 私の専門は「フランス18世紀演劇史」という分野である。フランス17世紀の古典悲劇では、「三単一の法則」―― 時(1日、日の出から日没までに)・場所(1つの場所で)・筋(1つの出来事が完結する)の3つが単一であること――という枠組みがあり、舞台上で起こることが「理性」によって現実味があると判断されるために、この法則は守るべきと考えられていた。従って観客にショックを与えるおそれのある決闘や登場人物が毒をあおる場面等は「動き」として演じられることはなく、「語り」によって再現される。ある意味で、時の支配者であった国王の唯一の視点に集約された世界観がそこには反映されていたともいえよう。演劇は当時のメディアの1つであり、それは観客の感性と連動していた。この時点で演劇はあくまで耳で「聴く」ものであったのだ。ラシーヌという作家が悲劇詩人として評価が高いのは、この三単一の法則のもたらす制約を舞台上の緊張に変質させる才能を持ち合わせていたからに他ならない。
 そのような状況下、18世紀初めにイギリスでシェイクスピアを「見る」体験をしたヴォルテール(1694-1778)は驚いた。この時彼は、とある貴族との衝突が因でバスティーユに投獄され、釈放と引き換えにいわば都落ちしてイギリスに滞在する羽目になっていた。だが、このイギリス滞在は後の彼の演劇に関する仕事に大きく影響を及ぼすことになる。シェイクスピアの作品をフランス古典悲劇的観点で見れば…「三単一の法則」はどこへやら、壮麗な韻文が並ぶわけでもなく、目まぐるしい舞台展開はほとんど野蛮の域に達する。例えば『ハムレット』を思い出せば想像できるだろう。クライマックスが決闘シーンだなんて!だがそれを「素晴らしく魅力的だ」とヴォルテールは感じたようだ。彼は帰国後、次々とシェイクスピア演劇をフランス向けに翻案し、それまでのフランス古典演劇では考えられなかったような、変革を導入していく。ヴォルテールの関心は、特に舞台空間の変革に寄せられていた。
 また、ヴォルテールは韻文の美をも追求しようとした。フランスの観客の培った詩句の音感を大切にする感性は消し去れないと感じていたからだ。だが、それは必ずしも演劇として成功しなかった。彼はある戯曲の序文でその苦悩を語る。「イギリス人が散文1行ですませることを4行の韻文を使わないとフランス人は語り得ず、イギリス人が言いたいことを言うのにフランス人は言い得ることしか言えない」。動きのある舞台づくりに足かせをはめるような韻文で挑む、という難しい選択は、ヴォルテールの芸術家としての賭けだったのかもしれない。
 彼の啓蒙思想家としての著作が現在も重視されるのに比べ、後世は劇作家ヴォルテールを評価してこなかった。確かに彼の戯曲を紙面上のみで読もうとすれば、そうとも結論できよう。しかし、舞台芸術が包括する世界はもっと広い。衣装、装置を含めた演劇の歴史から見るならば、舞台の変革者としてのヴォルテールの存在は比類なく大きい。彼のさまざまな翻案の試みとディドロを始めとする当時の新しい演劇の理論を模索していた人々、舞台での演じ手としての俳優たちの努力があり、18世紀の半ばには、それまで置かれていた「舞台上の長イス席」が撤去された。以後、客席に座る観客は、どのような身分であれ、同じ光景が舞台上に繰り広げられるのを共有できる環境が整っていったのだ。演劇は耳で聴く詩句から目で見るスペクタクルへと変貌を遂げた。ヴォルテールはまさにそのようなフランス演劇の転換期の立役者の1人であったといってよい。

 ヴォルテールはまた晩年、冤罪事件(カラス事件)の名誉回復運動を主導し、言論によって熱烈に世論を喚起した。このような行動をとるとき、彼は、反作用として自分に降りかかるであろう災厄や受難を十分に予想していたはずだ。それでも彼は書き、行動した。その勇気はどこから来たのだろう?
 ヴォルテールの次世代、フランス革命下に生きた劇作家、オランプ・ドゥ・グージュ(1748-1793)も同じだ。彼女は当時社会的には存在さえしなかった「女性たち」のために「女性のための人権宣言」を書いた。そして革命が急進化した後も危険をかえりみず政治的発言を繰り返した結果、断頭台の露と消えた。
 希求されはじめたばかりの「人権」という概念さえ曖昧で、グージュ自身、正解を見つけてはいなかっただろう。それでもグージュはあらゆる差別について問いかけ続けた。現在、コメディ=フランセーズ劇場が所蔵する1789年12月初演の彼女の戯曲を見ると、新たな視点、つまりは危険な思想を喚起するとみなされたシーンはすべて検閲で削除されていたことが観察される。すなわち、上演された戯曲はすでに彼女の意図を反映した作品としては成立していなかったことがうかがい知れるのである。『黒人奴隷制度』と題されたこの戯曲の上演はわずか3回で打ち切りとされた。グージュもまたそのような結末を知っていて、それでも口をつぐもうとはしなかった。
 自分が生きている間に、理想が実現できないことはわかっている。それでも100年、200年先の未来を見据えて決意する。追放され、あるいは命をかけても行動する。歴史を紐解くうちに、そんなヴォルテールやグージュの姿が浮かび上がってくる。200年以上前の人々が、ふと目の前で問いかける。「未来の人々のことを考えているか?」地下室に眠っていたような資料の香りを嗅ぎながら、ドキリとさせられる瞬間だ。私たちは、日々、どれくらい未来の人々のことを考えているのだろう。

過去から現在へ、現在から未来へ――

 1789年のフランス革命が社会や経済にもたらした変化は、現実レベルでは革命的ではなかったとも言われる。その一方で、「問いかけることをやめない」という革命の精神は、次代を生きる人々の中に遺伝子のように受け継がれ、人々の内面と感性に少しずつ変化をもたらしながら時代をつないでいった。文学や演劇の歴史においては、古典文学を育み完成した17世紀と、近代的「個」の確立を謳ったロマン主義の名作を残した19世紀に挟まれ、18世紀は時に特筆すべき作品の少ない空白の時代であるかのようにみなされる。しかし、戯曲の台詞やト書きに刻まれた当時の人々の叫びや呟きに耳を傾けると、18世紀には、実は、既存のものと新たな視点が交差し、少しずつ人の営みのありかたを組みかえていく複雑かつ興味深いプロセスがあったことが浮かび上がる。歴史の中に埋没しがちなそうした小さな足跡を拾っていくこと。それが私の仕事の1つだと考える。
 歴史を顧みることは過去をふりかえるのみにとどまらず、人間の営みが脈々と繋がっていることを知らせてくれる。どれほどに距離があっても過去の結果として現在があり、そして現在の行動やあり方によって未来が展開していく。過去と現在、そして未来は「地続き」だともいえよう。
 現在、あたりまえになっている物事も感性も思想も、無数の人々が数百年の時間をかけて構築したものだ。歴史を知ることは、今の重みを知ることであり、未来の人々への責任に気づくことでもある。
 現在の社会も自分も、突然に生まれたのではない。遠い国の遠い昔の人々の営為が、連綿と連なって今の私たちの中に流れこみ、積み重なっている。では今、自分はどう生きていくか。言語や歴史を学ぶことは、私たちひとりひとりが「今」を生きる羅針盤を手にするチャンスにつながるといえるのかもしれない。

掲載内容は2013年12月時点の情報です。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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