
2023.03.23
明治大学の教授陣が社会のあらゆるテーマと向き合う、大学独自の情報発信サイト
1990年代から海外進出した日本企業でのコミュニケーションに焦点を当てて異文化間(注1)コミュニケーションの研究を続けてきた。そのなかの一つとして、進出していった日系企業に従事する現地従業員と日本人スタッフとのコミュニケーションについて調査・分析してきた。
それぞれの地域で人間関係に特異の現象があることは予め想定されていたことだが、同時に意外なほど共通している部分も少なくなかった。日本人のコミュニケーション方法に対して、理解が進むと多くの国で現地の従業員から共通して高く評価されることが多いことも予想外の発見だった。
例えば、「一を聞いて十を知る」という言葉があるが、日本だと上司の指示が細部にわたって具体的でなくても、その意味を斟酌して具体的な実施方法や手順を考えて成果を出していく部下が有能と見なされる。逆に事細かく指示を与えないと動けない部下は「指示待ち族」などと言われ、扱いづらい部下と見なされることも少なくない。指示を受ける側にしても、指示の内容が細部まで具体的だと、往々にして「余計なお世話」と受け取られかねない。
しかし、このような「察し」によって仕事が進められる習慣が一般的でない文化では、日本人上司の指示はしばしば曖昧だと指摘され、不満の原因になる。
少し話は変わるが、先日電車の中で小学生が「KY」という言葉を使って会話をしている場面に出会った。サラリーマン社会ではよく使われるご存じ「空気(K)読めない(Y)」なのだが、幼い子供の会話に登場しているのか、と思うと、少々の違和感があった。それほどに日本では「空気」つまり周囲の思惑を察しながら身を処していくことが、幼い頃からの習慣となっているのか、ということも新たな発見だった。古くから日本人にとっては当然のことになっている空気を読む(注2)ことは、多くの外国人にとっては意識されないことであろう。
十分に言葉で表現されていないことも推量していくことが求められると、そこで必要になるのが俗に「ホウ レン ソウ」と言われる「報告」「連絡」「相談」である。指示を出して結果を待つだけではなく、現場からの途中経過も含めて頻繁にフィードバックしながら調整して仕事を進めていくのが、日本の企業社会では一般的である。海外に展開した企業では、問題が起きたときに、現地従業員たちが弁解したり、責任の所在を明らかにしようとしたりするのに対し、日本人のスタッフは、問題が発生した原因を究明し改善に真摯に取り組む。つまり、問題を個人に帰属させるのではなく、組織、システムの欠陥として捉え、その原因を取り除くことに注力する。組織全体の教訓として蓄積し、一段良い状況を創造していくのである。
しかし、このような取り組みは、なぜそれが重要なのかということが現地従業員にされなければ、単に「面倒くさい」作業になってしまう。逆に理解され共有されれば、高く評価されることにもなる。自文化で「当然」と思ってやってきたことが、なぜそれが必要なのか、と問われることは、自文化を見つめ直すきっかけにもなるだろう。
異文化と接しながら仕事をしていくというのは、もはや海外展開した日系企業だけで問題になることではない。海外展開していく業種もかつての製造業中心から、サービス業なども含めて多岐にわたるようになり、現地で必要になるコミュニケーションの質も変わってきている。
海外だけでなく、日本国内でもさまざまな文化的背景を持つ人々と、生活や仕事をともにすることが増えきている。アルバイト先では多数の外国人に囲まれて日本人がただ一人などということはいくらでもある。大学のキャンパスでも、アジアから多くの留学生が学びに来ている。就職すれば、職場で、さまざまな国籍の人が働いていることも多い。海外勤務をすることになるかもしれないし、結婚相手が外国籍ということもあり得る。もはや異文化との接触は、ごく身近なテーマとなっている。
異文化と接する際に、かつては自国(日本)意外の国情や文化について理解していくということが広く行われた。しかし、一段深いコミュニケーションでは、なぜ「自文化」ではそうなのかという問いに向きあい、こちらの文化的背景も十分に説明できることが必要になる。いまや、積極的に日本の文化を発信していき、相互に理解を深めていく必要があるのではないか。そのためには、「自分にとって正しいこと」を主張するばかりではなく、相手から学ぶべきものはしっかり学ぶ相互作用の姿勢、つまり柔軟性が必要だということを忘れてはならない。
(注1) ここでいう「異文化」は主に外国を指すが、本来「異文化」は異なる文化として、「世代」「性別」「地域」等あらゆるものを含む。
(注2) 山本七平『「空気」の研究』(1977年)。
掲載内容は2013年7月時点の情報です。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。