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好き嫌いを見つめることが、自分を発見する手がかり

下谷 和幸 下谷 和幸 明治大学 名誉教授(元農学部教授)

好き嫌いを見つめることが、自分を発見する手がかり

18世紀イギリスでキーワードだったテイスト

 広く英文学を専門としているが、中でも18世紀イギリスの「テイスト(taste)論」を主たる研究対象にしている。20年ほど前にイギリスのエジンバラ大学で在外研究をする機会を得たが、その際に出会ったのが、18世紀に出版された数多くの「テイスト論」だった。そもそもテイストは味覚のことであり、比喩的意味としては古来「好き嫌い」を表わす語であった。それが、18世紀イギリスでは、美術や文芸、音楽、庭園や家具調度品など、幅広い分野にわたって、それぞれの作品や対象を評価する際のキー概念となった。すなわち、テイストは、美的感覚、審美眼、眼識、判断力、感性などとして理解され、一種の感覚なのか合理的悟性なのか、生得的能力なのか修練によって獲得する後天的能力なのか、はたまた単なる好き嫌いの感情に過ぎないのかなど、その実体をめぐって議論が百出したのである。そのためイギリスの18世紀を “the century of taste”、すなわち「テイスト論の世紀」と呼ぶ学者すらある。

メタファーの働きとテイスト概念

 テイストという語が何故このように対立矛盾する概念理解を生じ、それに基づいて多様な説が論じられたのか。その理由を認知言語学のメタファー理論を基にして考察している。最近の認知言語学の説によれば、われわれは身近で慣れ親しんでいる具体的なものを通して、未知の、あるいはより抽象的な概念や事物、現象などを理解しているという。その際、言語としては比喩、その中でも、とりわけ隠喩(メタファー、metaphor=「AはBである」というタイプの比喩)の使用が有効になる。メタファーは多面的な側面を持つ一つの概念の特定の側面あるいは属性を必然的に生じるアナロジー(類似性)を際立たせることによって理解させるものである。たとえば、時間について懐いているわれわれの多面的な概念のひとつは「Time is money. (時は金なり)」というメタファーによって理解されている。すなわち、金銭とのアナロジーを通して生ずる「貴重で有限な資源」であるという含意によって、われわれは時間を金銭の如く理解しているのである。単に理解しているだけでなく、日常生活で時間を現実に金銭と同じ様に「貴重で有限な資源」として扱い、時間を「配分し」たり、「節約し」たりし、一方「浪費する」と反省するのである。「時は金なり」であるという理解から、時給制という賃金の支払い方法も生まれたのである。しかし、「時は金なり」であるが金銭そのものではない。時間は金銭と異なり、毎日万人に平等に与えられ、「前借する」ことも、「貯蓄する」こともできない。すなわち、一つのメタファーは一つの概念の多面的な側面の一部を際立たせて理解させるのであり、逆に言えばアナロジーによって含意されない側面は隠してしまうのである。すべてを際立たせるとしたら、それは、もはやそれは比喩ではなく、そのもの自体である。時間には、「貴重で有限な資源」以外の側面もあり、たとえば過去から未来に向って一直線に過ぎ去る、その速さは「Time flies like an arrow. (光陰矢のごとし)」というメタファーによって、また、時間は人間から容赦なく若さやエネルギーを奪うという残酷な側面があるが、それは「Time is a thief. (時は盗人)」によって、その逆に、時間の経過は心の傷を癒してくれるという側面については「Time is a healer. (時は治療者)」というメタファーによって理解している。このように時間という抽象概念の多面的な側面を、われわれはメタファーを変えながらそのアナロジーから生ずる含意によって理解しているのである。
 では、「審美能力(感性)はテイストである」というメタファーを使うと、そのアナロジーから生ずる含意によってどのような能力として理解されるであろうか。いろいろなアナロジーが生ずるが整理すると次の三つになり、事実、18世紀の様々なテイスト論もそれらのアナロジーからくる理解に基づいて三つに大別することが出来る。(1)は「甘い」「苦い」などの味を識別知覚する味覚という感覚器官とのアナロジーによって、客体を識別知覚する人類共通の生得の客観的な普遍的能力であるという理解に基づく説である。(2)は、識別された特定の味を「うまい」「まずい」と主観的に価値判断するグルメや料理人たちが、様々な文化や伝統の中で多彩な味覚経験と研鑽を重ねることによって、より洗練された「舌」を獲得していくというアナロジーによって生まれる理解である。すなわち、文化的な環境の中で個人が洗練陶冶することで、ある程度の広がりのある集団内で同意される普遍的価値を評価する後天的主観的価値判断力であるという説である。(3)は元来のメタファーとしての含意から、テイストはあくまで個人的で相対的な「好み」に過ぎず、一定の価値基準に基づいて行われる作品の優劣の評価からは排除されるべきであり、それは合理的判断力である悟性にゆだねられるべきであるという説である。

審美能力論としての18世紀のテイスト論

 さて、18世紀イギリスのテイスト論は、まず、17世紀後半にプロローグとして、フランス批評界の主観的感性を重視する思想の影響を受けた劇作家ハワード(Robert Howard)と古典主義者で当時文壇の大御所であったドライデン(John Dryden)との間の論争で幕を開けた。古典主義のルールや原理を主張するドライデンの演劇論に対してハワードは、主観的な満足感や悦び(pleasure)に基づいて正直に自己の価値判断を反映している「テイスト(好み)」の意義を主張し、自作の劇のメリットを擁護したのである。他人が満足し悦びを感じているものに対して、ルールや原理を持ち出してけちをつけることほど失敬なことはない、押し付けられた原理やルールで何かを好きになったり嫌いになったりできるものではないと。それに対してドライデンはなるほど劇作家の目的は聴衆に満足や悦びを与えることであるが、聴衆が必ずしもすぐれた劇に満足や悦びを覚えるとは限らないと反論する。劇を評価するのは、あくまで芸術理論や演劇のルールに則っているか否かを判定する「合理的判断力(judgment)」であるべきだと主張する。他の大勢の人間がうまいと評価している料理を、自分の好みではそのうまさがわからないといって非難してはならないように、芸術作品も己のテイスト(好み)で判断してはならないと。二人の論争の時点ではこのようにテイストはメタファーとして専ら「個人的好み」を含意していた。
 18世紀初頭に第三代伯爵シャフッベリー(the third Earl of Shaftesbury)は、上記(2)の、「個人的好み」を洗練させることによって後天的に獲得される批評能力や感性的価値判断力(judgment)へとテイストの含意を転換させた。一方、シャフッベリーはホッブス(Thomas Hobbes)らが唱えたすべての価値の個人的相対主義に対して、人類の審美能力や道徳観念の生得性と普遍性を主張して、 “sense of beauty” や “moral sense”という、感覚器官(sense)とのアナロジーに基づいた生得の普遍的識別能力の存在を説いた。ハチスン(Francis Hutcheson)は、シャフッベリーの思想を発展させ、審美センスや道徳センスを、外界の対象に反応する五官と区別して、「内なる感官(Internal Sense)」という述語を用いて詳説した。ハチスンは「内なる感官」とテイストを同一視したため、テイストは生得的感覚的識別能力として哲学的基盤を与えられることになる。ハチスン以外にもアディスン(Joseph Addison)、ジェラード(Alexander Gerard)、バーク(Edmund Burke)など、上記(1)の味覚の識別能力とのアナロジーを利用して――たとえば、紅茶通やワイン通がラベルを見ずとも、銘柄や産地を正確に言い当てられるように、あるいは、蜂蜜は「甘く」酢は「酸っぱい」のは、また前者は快く後者は不快なのは万人に共通であるように――審美能力としてのテイストも芸術作品の美点を即座に正確に識別知覚する普遍的能力であるとその実態を説明した。世紀前半はこの「客観的感覚的識別知覚説」が優勢であったが、この説では現実に存在する、テイストや審美的価値の多様性を説明することができず、世紀半ばあたりからはヒューム(D. Hume)らを代表とする、(2)のアナロジーに基づいた「主観的感性的価値判断力」説が優勢になる。たとえばヒューム(David Hume)は、テイストは “sentiment”という個人的主観的感情にもとづく価値判断であることを認め、その上で普遍的人間性を信奉する立場から、その個人的主観的感情に普遍性を与える根拠を探った。テイストの普遍性を立証しようとするこうした議論の一方で、(3)のアナロジーに基づいて、テイストはあくまで「個人的好み」であり、せいぜい「習慣」や「流行」の同義に過ぎないものであり、作品評価からは排除されるべきであるとする説も常に存在した――たとえば、画家のラムジー(Allan Ramsay)。18世紀末になると、ロマン主義の思想の影響で、テイストというメタファーでは含意できない「想像力(imagination)」が文芸活動で重視されるようになり、19世紀になると上記のように正反対の含意を持つテイストは、概念規定を明確にする美学・哲学・批評の分野では曖昧な語として嫌われ、テイストは次第に論じられなくなる。

成り上がり「ジェントルマン」を区別する指標

 上で述べたような、美学論や批評論の発展としてテイストが盛んに論じられるようになった一方、この世紀のテイスト論の隆盛の背景には、成り上がりジェントルマンたちの上流社交界への参入という社会的状況があった。語源からすると “gentleman”は、本来は紋章を持つことを許された「名門の家柄」の者を示す階級指示語であった。それが次第に変質を遂げて、18世紀までには「有徳で穏和」という個人の人格的な特性を示す語になっていった。17・18世紀にロンドンを中心とした裕福な商人達が上層中流階級を形成し、自らジェントルマンと称し、上流社交界に進出してきた。新興のジェントルマンたちは豪壮な邸宅を構え、豪華な衣装に身を包むようになる。外見では、本来の上流階級のジェントルマンとの区別がつきにくくなる。しかし、テイストは、有徳で穏和な人格や洗練された立居振舞い、教養などと同様、当時は専ら上流階級の人間だけに許された文化的環境や伝統の中で育まれ獲得されるものであったため、付け焼刃の利かない育ちのよさを示すものであった。したがって “good taste”が真のジェントルマンの資格要件と看做され、成り上がりジェントルマンの素性を暴露する試金石になったのである。 “good taste“を身に付けようと必死になっているさまは、当時の雑誌を見るとわかる。「上流社交界の人間は誰も彼もわれこそは一流のテイストの持ち主だと思われたがっている。この野心的情熱は現代にあまねく蔓延している熱病である」と嘆かれている。誰もが勝手なテイスト概念を振り回していたようで、別の雑誌では「驚くほどテイストが氾濫する中で、テイストの実体が何であるか、つまり、テイストという語が一体何を意味しているのか、わかっている者はほとんどいないといってよい」と皮肉られている。18世紀イギリスにおけるテイスト論の隆盛にはこうした社会的背景もあったのである。

自分のテイストを知ることは自分自身を知ること

 上で見たように、普遍的美学の立場でテイストを捉えようとした18世紀の思想家達は、テイストというメタファーから(3)の「個人的好き嫌い」という含意を排除しようとした。その方法として “taste”に “good”、“fine”、“just”、“real”などの形容詞を付けて、普遍的能力であることを示そうとした。しかし、それはうまくいかなかった。何故なら「個人的好き嫌い」を排除して審美能力を理解するには、違うメタファーを使うしかないからである。テイストは「個人的好き嫌い」を含むからテイストなのだ。「趣味」という日本語を通してテイストを理解している今日のわれわれにとって、テイストが「個人的好き嫌い」と切り離せない主観的価値判断を含意する語として受けとることは自然であろう。さらに、「感性」という意味で理解すれば、一人一人の人間が主として文化的環境(文化、伝統、習慣、教育、歴史など)の中で様々な経験を通して自らのうちに育んできた価値観を経由した、「感ずる」としか言いようのない、知性の直観的反応と理解することも容易であろう。この直観的反応は基本的にはその人独自の個的なものであり、その意味で、根底に個人的な好みを内包している。つまり、好悪の感覚には、人それぞれの生い立ちや時代の風潮、身体的特徴やユニークな体験など、さまざまな個人的の歴史が必ず反映されているはずである。したがって、自分がなぜその対象が好きなのか、あるいは嫌いなのか、ということを探っていけば、すなわち自分のテイストを内省すると、自分自身の本質がよりよく見えてくる。自分のテイストを見失うと、流行に流され、自分の本来の姿、自分らしさが見えなくなる。そして他人のテイストがわかると、他人を一層よく理解できるようになる。どんな些細なことであれ、お互いのテイストが同じであることがわかると、とたんに親近感が増し、肝胆相照らす交わりが出来るようになることが間々あるのはそのためである。

掲載内容は2012年12月時点の情報です。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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