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変容する家族関係のなかに、変らない結び付きを発見する

施 利平 施 利平 明治大学 情報コミュニケーション学部 教授

変容する家族関係のなかに、変らない結び付きを発見する

共通の文化的背景、異なる家族の関係

 東アジア諸国は、古代から稲作や文物の交流を通じて深くつながってきた。儒教、仏教など、政治制度や文化でも共通の基盤があった。しかし、家族や社会のさまざまな制度を調べてみると、中国と韓国、日本には違いがあり、近代化が進展するなかでそれぞれが変化してきてもいる。
 日本の場合は、本家と分家という関係は、河の本流と支流ほどの関係で、あくまでも本家が中心にあるのだが、中国は、末広がりの関係で考えられ、子孫の繁栄を願う。
 社会主義革命以前は、中国では兄弟間での均分相続だった。ただし息子だけの均分で、娘は除外されているのが一般的だった。韓国は、儒教の影響で、一子相続で長男が相続する。日本でも、旧い「イエ」を中心にした長子相続が続いてきたが、第二次世界大戦後には民法が改正されたこともあって、兄弟間の均分相続が名実ともに成立したと広く考えられている。しかし、実際に家族の関係は大きく変容しているのだろうか。日本で全国的な家族調査をしてみると、案外に旧い家族の姿が残っていることを発見する。例えば老いた親の面倒は、長子が担っていることが多い。先祖からの墓の管理という問題についても、似たようなことが行われている。日本では「イエ」が継承してきた墓を今の世代が守るという考えが主流だが、中国では、一般的な墓は、夫婦墓という形式。日本ほどに歴史的な家系を尊重するわけではない。
 一般に研究者のあいだでは、日本では男系の単系相続から男女の双系へと変化したと考えられてきたが、調査によると必ずしもそうではないという実体が浮かび上がってきている。学会でもまだ旧い家族制度が残っている、ということが受け入れられているわけではないが、学生に問うてみると、意外と身の周りに旧い制度に基づく現実があり、研究者ほど違和感をもっていない。家族の関係というのは、ほかの制度や考え方が変化しても根強く残っていくようだ。

遣唐使の港から

 生まれ育ったのは浙江省の寧波(ニンポー、日本では「ねいは」ともいう)。日本の古代史にはしばしば登場する。秦の始皇帝の時代には、徐福(注1)が船出したという言い伝えもあり、七世紀の頃から遣唐使が到着する港として知られてきた。
 中国で日本語を学んでいたときは、学生にもっとも人気があったのは英語だったが、日本を含め海外への留学を夢見る若者も増えていた。しかし、共通の文化をもっているとはいっても、中国と日本では制度や慣習だけでなく、家族間の情緒的な関係などでも大きな違いがあるのではないか、と思うようになった。日本のテレビ・ドラマなどを見ると、中国とは異なる家族間のコミュニケーションがあるのではないかと感じ始めて、日本に行って研究しようと考えた。
 大阪の大学で学ぶことになったが、日本に到着したときの最初の印象は、国とはこうあるべきものだ、ということだった。それは治安や公衆衛生などの社会環境が整っているだけではなく、人々が秩序を保って穏やかに生活している姿に成熟した近代を感じた。それは、あるいは遣唐使が中国の土を踏んだときに抱いた感想かもしれない。

時代に適合する家族のカタチ

 東京に移り住んでみて、大阪よりは街中の色彩やファッションなどが地味だと感じた。実はこの「侘びさび」ともいうべき趣味は、一般の中国人には理解するのに時間がかかる。顔つきは似ていて、とくに欧米人から見ると、中国人、韓国人、日本人は、なかなか区別できないのだが、感性や個性の表現にはかなり違いがある。日本人が価値を認める「謙譲の美徳」とか「和を尊ぶ」「以心伝心」という精神は、あまり中国人にはなじまず、ダイレクトに自分の感じ方や主張を明確にすることが多い。顔貌は似ていても、中国人のメンタリティーは、むしろ欧米人とくにアメリカ人のほうが近いかもしれない。そのあたりを勘違いすると、コミュニケーションに齟齬が生じてしまう。
 家族社会学という講義は、およそ160人が選択しているが、かなり真剣に受講している。
 日本の家族制度は、第二次世界大戦を経ても残存してきた、と述べたが、これから大きく変化していく可能性もある。居住形態が変化し、「無縁社会」などという問題も注目されてきている。若い人が配偶者の両親とのべったり同居を嫌うという傾向もあるようだが、女性が出産後も長く働くようになってくると、子育てのありかたも変化してくるだろう。中国では、革命以後は夫婦の共働きという家庭が大多数になっていて、老親が孫たちの面倒をみることも多い。 中国も日本も新しい時代を迎えて、より時代に適合した家族のカタチが求められていくことになるだろう。

(注1) 中国の秦朝の方師(呪術師)。始皇帝を騙して「不老不死の霊薬を得るため」として3000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)、五穀の種を船積みして、東方に向かったと伝えられる。和歌山県新宮市をはじめ、日本の各地に徐福が漂着したという伝承がある。

掲載内容は2012年10月時点の情報です。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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