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生きるための文学によって、日本の位置を見定める

中村 和恵 中村 和恵 明治大学 法学部 教授

生きるための文学によって、日本の位置を見定める

その旅はオーストラリア留学から始まった

 高校生の頃、メルボンに留学した。これが旧植民地に目を開く端緒となった。学校があったのは、移民や難民が多く住む地域。トルコから旧ユーゴ、カンボジアからチリまで出身は色とりどり、親世代の母語が英語という生徒はたった一人で、数学教師が紹介してくれたベトナム難民は広東語で喋っていた。イタリア人の先生はアジア人ならみんな同じと思ったのだろう。
 明治期の日本人留学生は「日本人」という新しい概念を成立させるべく模索したのだろうが、私は国民=国家単位のアイデンティティーに疑問を感じ、世界のなかで日本人とは、と考え始めた。

旧英国領植民地の文学

 オーストラリアからカリブ海地域、アフリカ、太平洋諸国、南アジアと、関心は広がっていった。これらの地域は第二次世界大戦後、相次いで独立したが、支配の跡は恒久的に残る。いまだに英語が公用語なのもその表れだ。そんな中からもユニークな文化は生まれる。植民地支配以降の混成文化から生まれた、力づよい新しい文学。それを私は「ポスト/コロニアル文学」と表記したい。
 カリブ海・トリニダード出身のアール・ラヴレイス(Earl Lovelace)(注1)は〈第三世界〉ということばを、「まるで世界の外にあるようだ」と批判した。「世界の外」とみなされてきた土地で、今さまざまな作家が多彩な活動を繰り広げている。かれらの作品は、なによりもまず、面白い。

オーストラリア先住民の世界へ

 学部の四年生のとき卒業旅行のつもりで再び出かけたオーストラリアで、気がついたら先住民のキュレーターの仕事を追っていた。以来、かれらの絵画に惹かれ、いくつかのコミュニティを訪れた(※1)。目下の研究主題は「先住民族とは誰か——グローバル化世界における先住民族と日本人の位置の比較文学的再考」(科研費の助成による。注2)。子供の頃の異文化体験は、「純粋」な文化とか「伝統」の内実、先住民という概念への疑問に発展していった。
 白人がアボリジニと総称するオーストラリア先住諸民族(注3)は、文字を持たなかったが、洗練された口承文芸をはぐくんできた。絵画、音楽、舞踊などでも表現される世界観=物語には、法、哲学、地理学、地質学、生物学ほかすべての生きていくために必要な知恵が、見事に表現されている。
 自然は人間に感情を抱いたりはしない。人間が自然と折り合いをつけて生きていくことは、人間が自然についていかなる物語を編むのか、ということにほかならない。東日本大震災で欧米のジャーナリストが感嘆したり不思議がったりした、感情を爆発させない日本人の静かさは、日本人独自の世界との折り合いのつけかたから生じている。こうした世界観は西洋近代文化と対置しただけでは特殊にしか見えず、日本対欧米という近代日本の知識人が繰り返しはまってきた二元論にはまってしまう。アジア諸地域、および他の非西洋文化圏との対比によって、初めて世界における日本の位置が見えてくる。
 西洋的近代が分節し、学問として体系化してきた諸種の知識に対して、今こそ、異なる知の流れをくむ物語が切実に必要なのだ、と私は信じている。表層だけでない、生きるための文学が。

http://djonm.at.webry.info/に探訪記

(注1)
アール・ラヴレイス(Earl Lovelace 1935-)
トリニダード島生まれで、カリブ海を代表する作家のひとり。ワシントンのハワード大学、ジョンズ・ホプキンズ大学で学び、アメリカ合衆国の大学や西インド諸島大学トリニダード校で教鞭もとる。トリニダード・トバゴで執筆活動を続け、多くの賞を受賞している。
(注2)
正式名称は「科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金/科学研究費補助金)」で、(独)日本学術振興会がさまざまな分野に対して行う学術研究の助成制度。
(注3)
Aborigineは本来「原住民」の意味だが、狩猟採集生活を営んでいたオーストラリア大陸の先住民のことを指す。ルーツについては現在も議論されているが、5万年ほど前にアジア南部から渡来したという説が有力になっている。

掲載内容は2012年7月時点の情報です。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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