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2014.11.01

演劇的に生きよう ―SNSに閉じこもってしまうなんてもったいない―

演劇的に生きよう ―SNSに閉じこもってしまうなんてもったいない―
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社会は巨大な劇場である

井上優 准教授 人間は、生きている限り、言語や行為を通じて自分の思いを発信し、それを誰かが受信し、解釈し、そして改めて発信することという連鎖を繰り返していて、その連鎖が社会を形成しているとも言えます。それは演者と観客の創り出す「舞台」という空間と、共通するところが多いと思いませんか。俳優の舞台上での行為が今の連鎖をなぞるのは言うまでもないですが、劇場という空間の中で演者と観客との間でも同じような〈交流〉があるのです。
私の研究テーマは、近代以降、シェイクスピアの上演がさまざまな社会の中でどのように展開してきたかを探るというものです。シェイクスピアの劇作品は、もちろん読み物としてみると作品として固定され、変化がないように見えますが、いざ舞台にかけるとなると、社会や環境が異なると、演じ方、表現の仕方が変わっていくことが避けられません。
私は、そのように、いわば、社会という巨大な舞台でその中の「劇中劇」ともいうべきシェイクスピアの舞台が、どのように変化してきたのかを分析しています。その作業を通じて、地域性や時代性があぶり出せるのです。
特に「演出家の時代」とも言われる20世紀には、さまざまな演出家によって多様な演出が行われるようになります。シェイクスピアの世界も大きく急速に広がってきました。その背景には、もちろん、音響や照明などの舞台機構の発展があったことは確かですが、一方では、固定されたテクストにさまざまな解釈をほどこし再構成することの面白さを社会が発見したからでもあるのです。その一連の過程には、演出という作業と社会の変容の、絶え間のない連動が見いだせます。
シェイクスピア公演の変遷を追う視線を持つということは、舞台を取り巻く社会、社会と個の関係性などを捉える可能性を持つということでもあるわけです。演劇を観るということを通じて、目の前の舞台以外のいろいろなものが見えてくるわけです。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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